RE_PRAYのグッズ販売情報と、アエラのとんでもないビジュアルの表紙と、仙台の観光アンバサダーに加えてみやびやかもいらっしゃるようですが。


空気読まずに行きます〜


あ、でも、一応?羽生くん関連の話です。


「そこまで突き詰めなくてもいいじゃないか」


この言葉はたとえば、日常的に使うならわかるような気がするんですよね。


家事労働だと、そこまでも何も、突き詰めるまもなく次から次へと用事があるんですから。


あ、私だけですか?(⌒-⌒; )


料理するときに毎回計量カップやはかりを使ったりしませんし、洗い物も掃除も隅々まで綺麗になんてしてられません。


物事を突き詰めるというのは、そういう…日常のありふれたときにやることではないと思うんですよね。


何か、遥か遠くの目標に向かって頑張るときとか、果てしない理想を求めているときとか…


それは、スポーツや芸術などの、特別な瞬間を引き寄せるためのものなのではないでしょうか。


「このくらいでも構わない」


というのはその対極にあって、日常のありふれた瞬間ならそのほうが生きやすいし周囲も楽ですよね。


でも、スポーツの「あと少しで勝利を得られるとき」や芸術の「もうちょっとで思い描く理想に届くかもしれない」ときには、相応しくないのだと思います。


ただ、採点競技で、「そこまで突き詰めなくても(求める順位を得られるだけの)得点がもらえる」と思っていたら。


そのとき、それでも突き詰めていけるのか、それとももう構わないと緩んでしまうのか。


その差はのちのち、どれだけ大きく広がっていくのでしょうね。


…………


羽生結弦選手のビジュアルが良すぎるので、そのあたりでもう「突き詰めたってあそこまでにはならないし」と諦めてしまうスケーターさんたちがいたのなら、そこはまあある程度仕方ないのかもしれませんが。


自力で何とかできるところだけでも、少しでも追いかけたいと努力できるかどうか?は、やはり好感度の差になって現れてくるような気がします。


実は私、顔で相手を判断してはいけないと思いながらも、第一印象に結構左右されるんですよね。


何ていうか、美醜よりも、好感度…?


何となく好きだなぁと思っていたら、中身も良かったということがわりとあるんです。


心理学的には、初対面の相手がこれまで関わった誰かに似ていると、そのときの感情が投影されるというのもあるらしいんですけど。


それだけじゃなくて、表情…


「誠実で、真摯に向き合う」ものが見えるかどうか、というあたりを感じとっている気がするんですよね。


採点競技で、実力と実施よりも高い得点と順位をもらえて当然だと思っている選手からは、傲慢さや狡さや卑屈さが何となく感じられませんか?


私にはそういう表情が、好感度を下げている気がします。


…………


羽生くんでさえも、得点と順位を…こちらは逆に、本来もらえるべきものより低いものしか表示されなかったときの鬱屈した表情は、爽やかさが曇ってました。


その翳りがまた憂いを帯びて、別の美しさを醸し出していたからビジュアル的には良かったのかもしれませんが。


私には、その頃よりも今の「後顧の憂いなく思う存分求める表現に打ち込める」姿のほうが、もっと燦然と輝いて好ましくなっているように感じます。


…………


羽生くんにはさまざまなファンの方たちがいて、その好みもそれぞれ違うでしょうけど。


私は、羽生くんご本人の意志で選んでいける道を歩んでいく姿が見たいし、そこが最も素敵な「羽生結弦」を見せてくださる場所だと思っています。


さいたまのRE_PRAYまであと少し。


羽生くんが健康で、思い描くスケートができますように。


読んでくださってありがとうございました。