子どもの頃の理想を憶えていますか?
羽生結弦選手が小学生くらいのときに語った目標は、こんな感じだった気がするんですが…
「ジャンプの確実性もあって、ランディングも綺麗で、スケーティングも…」
どこでこの「キノコちゃんのインタビュー」を見たのか、憶えてないんですが。(たぶん覚醒の時)
理想は高く持っているほうが、上達するんだなと思って見てました。
先週のスイッチインタビューで、これまで何故「柔軟性のあるスケーターさんが高難度ジャンプを跳べない」ことが多いのか、その疑問への答えを明かしてもらった気がしました。
でも、柔軟性のあるスケーターさんのほうが、スピンは上手ですよね?
スケーティング自体はどうなのかわかりませんけど、表現力も伴うなら「ジャンプ以外は全てクリーン」なスケーターさんがある程度いるのも納得できます。
ならば、フィギュアスケートの命題のような…
ジャンプが得意🆚柔軟性があるスケート
とか、
高難度への挑戦🆚表現力
とか、
難易度🆚完成度
とか、
技術🆚芸術
などといった、
なかなか両立しないものを「どちらを優先するべきか」???
という中で、「両立させてくれるスケートができる選手が理想」だと、誰でも思いますよね。
どちらかしかできない選手ばかりだから、駆け引き、綱引きが成立するんです。
両立させる選手がいるなら、それこそが理想「究極の目標」なんです。
そのあたり、見る目がなかったのか、それとも認識が歪んでいたのかわかりませんが。
せっかく出現した「理想のスケート」ができる選手を低く評価して、自分たちに都合の良い選手に高い順位を与えることに狂奔してしまった数年間で。
理想のスケートを見てしまった観客、視聴者は、その唯一の方について行きました。
もったいないことをしましたよね。
理想とするものはそこにあったのに。
試合で「両立させるスケート」を実現できる選手によって、世界にそれが見えたのに。
理想のはずのものを理想じゃなかったような採点をしたばかりに、
理想とは言い切れないものをそれよりも高く評価したばかりに、
試合そのものも茶番劇になってしまったし、
選手たちは順位を上げるために理想を見失ったかのよう。
理想には、そんなに簡単に到達しないんです。
次に理想的なスケートができる選手が現れるのは、何百年後になるでしょうね?(人類絶滅までの間に現れるとは限らないなー)
…………
あいえすゆうとすけれんの採点は、まるで、これまで発見された中で一番大きなダイヤモンドを手中にしているのに、それを砕こうとしたようなものです。
1905年に南アフリカで発見された「カリナン」は3106.75カラット(621.35g)だそうです。
スミソニアン博物館にあるブルーダイヤ「ホープダイヤ」が45.52カラット(9.1g)ということなので、「カリナン」はかなりの大きさですよね。
いくつかにカットされたようですが、原石のままであったなら推定24億ドル相当なのだとか。
もっとも、そんな重い野球ボール以上の大きさのダイヤモンドなんて、どうすればいいのか?と思いますけど。
…………
ダイヤモンドの価値はカラットだけで決まるわけではないそうです。
カラー、クラリティ、カットも(金額査定の)対象なのだとか。
…………
なかなか実現できなかった理想は、
最大級の大きさの、
無色透明の、
内包物のない、
その美しさを最大限に活かすカットを施された
ダイヤモンドのようなもの。
その美しさに魅入られて、
その理想に感動して、
そこでずっと見ていたくなってしまうでしょう。
他のものを「もっと価値あるものはこちらにあります」と提示されても、
最高のものの前から離れられなくなるでしょうね。
私はもう見つけました。
理想を追い求める方が、
不純物を取り去った、
理想の美しいスケートを。
読んでくださってありがとうございました。