物事って変化していくものだし、だから私は「変わらぬ○○」とか言われたらほんまかいさ?と斜めに見てしまうひねくれ者です。


(昔の人はよく言うてくれはったやんなー、年々歳々花あい似たり…とか、川の流れは絶えずして…とか、同じように見えていても変わっていくもんなんやて)


私が羽生結弦選手のファンになったのは2013年福岡GPF、まさに破竹の勢いで登り詰めようとするアスリートでした。


(SPで世界記録を出してトップで折り返して、フリー最初のジャンプで転倒したのに他はパーフェクトやった…その、プレッシャーに負けへん強さに惹きつけられたんやー❣️)


ソチ五輪シーズンに三冠を達成して、このまま平昌五輪まで独走するか?と思いきや、どれだけアップダウンがあったことか。


(アップはとことん果てしなく、ダウンは満身創痍の身で4位…めっちゃ強いがな)(・・;)


2016年9月に私が乳癌の手術を受けたとき、羽生くんの平昌での連覇を見るまでは死んでたまるか‼️と思ったことが今でも強く記憶に刻まれています。


(タイガースの優勝、藤浪選手のMVP…そういうものも望んでいたけどな、家族のこと以外で最も望んでいたのは、羽生結弦選手の平昌金メダル獲得を見たいてことやったんや)


世界初の4Lo成功もあって、「これを見られただけでも生きていて良かったなー」と思ったヘルシンキホプレガがあって、平昌五輪で羽生くんが連覇するところも見られて…ファンになってなんて幸せなんだろうと思ってました。


(点数の壁をド派手に粉砕してから、採点の迷走がおかしくなってしもてたし…けがのこともあったから、平昌五輪後にあれだけ試合に出場してくれはるとは予想してへんかったけどな)


…………


私は、世界最高のアスリートが現状に満足せずに向上していく…そのあくなき向上心に魅せられてました。


(世界最高はオリンピック金メダリストや、成功させるクワドの数で決められてたまるか‼️て、クワドの種類と本数の表がメディアから出てくるたびに叫んでたなー)


羽生くんは息子と同い年なので母親目線も含めてましたが、アスリート応援派のファンである自分は、羽生くんの現役引退後はどうするだろう?と不安になることもありました。


(1番心配やったんは、羽生くんが選手生命に関わるほどのけがをしてしまうことやったし…それ以外のことなら、どんなセカンドキャリアを築こうとも応援する気ではいたんやけどな)


羽生くんがプロスケーターになるなら望むところ、アイスショーを見ればいいんです。


(これほどのアイスショーを開催してくれはるなんて、想定外の嬉しさやったわー)ラブ


指導者とか振り付け師とかだと、見る回数は減ってしまうだろうけど門下生を応援するかも?とか、そのあたりはもしそうなっていたら自分がどうするかわかりませんでした。


(天の岩戸に隠れてしまわはるんやないか?という不安がいつもあったし)


羽生くんのプロ転向から1年あまり…その驚天動地の大展開に、いつのまにか自分はそのスケートが見られるだけで至福❣️だと気づいたんです。


(おかしいなー、私ってアスリート応援してたんとちゃうの?芸術鑑賞目線やったかもなんて、考えてもみいひんかったで)キョロキョロ


ただ、芸術作品としての「羽生結弦のスケート」に魅了されているだけ…というのも、ちょっと違うような気がしてました。


(しょうがないやん、スケーターとしてだけやなくてご本人にもさまざまな才能と魅力があるんやし)


そして結論としては、私は羽生くんが創り出す世界観にどっぷりと浸っていたいということ…「羽生結弦のスケート」を含めたクリエイターとしての創作活動に魅了されているのだということなんです。


(長い〜長いがな、結論に至るまでこんなに文章書かなあかんかったんかーい)チュー


…………


アスリートを応援してたつもりが、クリエイターの作品に魅了されている…そんな経験したことなかったもので…自分でもびっくり‼️です。


(時間とともに変化したというか、羽生くんのスケートの魅力がどの方向なのかの変化に対応したというか)


まあ、人間は変化していくものなので、できる限り「自分がさらに良いほうに変化していく」ことを目指せたらいいなと思っています。


(羽生くんの入籍報告に関しては、私の気持ちは祝福❣️…あとは、羽生くんから何かお知らせがあれば知ればいいんや…という態度やったなー、ずっと)


羽生くんの根幹である「羽生結弦のスケート」を…その成功を妬む輩に妨害されることなく、ファンに披露してくださるときを楽しみに待ちます。


(バカタレどもは関わるなよー💢)


ツッコミつきの文章におつきあいいただき、ありがとうございました。