私は結構長く続く小説やマンガが好きで、以前はよく読んでいました。
そうするとときどき、スピンオフ、番外編、外伝というものにも出会うことがあります。
何年も前のものしかここには挙げないのでネタバレを気にするほどじゃないかな?と思うんですが、ネタバレがダメな方はここでお引き返しくださいね。
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DEATH NOTE、グイン・サーガ、BASARA、八重の桜について書いてます。
ネタバレというほどでもないけど、念のため。
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私がスピンオフとして真っ先に思い浮かべるのは、L change the WORLD(DEATH NOTEのスピンオフ)です。
これは「原作マンガにはなかった展開で終わった2本の映画」が公開されたあとで作られたものなので、映画を観ずにマンガだけ読んで「L change〜」を観ると???となります。(⌒-⌒; )
また、外伝が多い小説として思い浮かべるのは、栗本薫さんのグイン・サーガですね。
本編が130巻くらいあったかな?外伝も20冊以上あった気がします。
中には、これは外伝じゃなくて本編に入れたほうが良かったのでは?と思うものもありました。
主人公が歴史の表舞台に出てこない間、どんな冒険をしていたかなので…
群像劇として、作者さんが三国志のイメージでやりたかったらしいので、その架空の歴史の流れを本編として、そこに当てはまらない主人公の話を外伝にしていたようです。
あとは、BASARAというマンガも、後日譚みたいなものがありました。
これは主人公の出てくるバージョンも、それ以外の誰かを主人公にしたバージョンもあったので、さまざまな登場人物の「未来」を楽しめました。
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大河ドラマ「八重の桜」では、時折主人公が…出番が少ないというか、それこそグイン・サーガみたいに「歴史の流れが本編」の中で、会津藩にいる主人公の存在が目立たなくなっている時期がありました。
主人公が「歴史の中で」活躍したのは鶴ヶ城の攻防のときで、それまではちょっと「横に置かれていた」感じがしたのは、幕末という時代において歴史の流れを説明するためには仕方ないというあたりだったのでしょうか。
そのあたり、グイン・サーガであれば作家の思惑次第でどちらに比重をおいても構わなかったかもしれないけど、歴史上の人物を大河ドラマの主人公にするなら、もうちょっと違うやり方があっても良かったのかな?と思うんですよね。
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フィギュアスケート界においては、羽生結弦選手という「ソチオリンピック後は紛れもなくその世界の主人公」がいるのに、無理にその存在を他の選手の陰に隠すような不可解なことが続いてました。
天の岩戸で日の光を遮ろうとしたとか、そんなイメージにまでなってしまうほどです。
ピントが合っていない画像を見せられているかのように、いつもいつも、「羽生結弦選手の快挙」は低く扱われてました。
また、その快挙を報道して賞賛したとしても、妙に「別の誰かにスポットが当たるような」感じにされていた気がします。
それはあたかも、主人公が主人公でないようにさせられているかのようで。
本編を読んでいるのに、いつのまにかスピンオフだったという印象に似てます。
スピンオフはそうだとわかっていて読むのなら、それなりに楽しめると思うんですが。
本編を読んでいるのにスピンオフだったなんて、叙述トリックにでも引っかけられた気分になります。
別の誰かを主人公にしたいのなら、羽生結弦選手という絶対的な存在感のある方のいないところでやらないと。
脚本と演出とキャストたちが寄ってたかって「主人公をすげかえる」ストーリーにしてしまおうとする、悪夢のようなものを主人公のファンに見せ続けるなんて。
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あいえすゆうとすけれんのお膳立てで寄ってたかって「羽生結弦選手の栄光を奪って他の選手に与える」という、勝手な筋書きをスポーツの場で見せられるなんて。
そんなスピンオフいらんねん💢
羽生くんのスピンイン?スピンから入るプログラムなら、見たいけどね。
読んでくださってありがとうございました。