表現することの意味って…
表現するための方法って…
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世界中で、音楽に携わる方々はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。
舞踊に携わる方々は?
絵画や彫刻などの造形をする方々は?
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私はあいにく、そういう芸術部門への才能が全くなくて、鑑賞者としても理解力が全然ないのですが。
表現方法としては、文章を書くくらいのことは一応できなくはないかなぁ〜というあたりで、こうやってブログを書いているわけなんです〜
まあ、日本は一応義務教育なので、識字率は高いのでしょうね。
だから、私が書いた文章も、(関西弁バージョンのときはどうなのかわかりませんが)読めば意味がわかるという日本語になっているはずです…たぶん…
読みたいものかどうかについては、私は、自分の力量を過大評価してませんので…
私が羽生くんのファンで、同担が読みに来てくださっている、という部分を取り除いたら、ほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。
乳癌の病歴や介護の経験について書いたこともありましたけど、私の経験など微々たるもので、さして参考になるわけでも励まされる内容でもなく、「そういうこともあるんだー」くらいの話です。(⌒-⌒; )
なので、ここで私があれこれと書いたり、それを読んでもらえたりすることの99.99%までは、羽生結弦選手というメガスターが放つ輝きを反射するカケラの1つだからなのだと思っています。
ええ、羽生くんという存在なしには、このブログはなかったんです〜
いわば、二次創作?のようなもので、ファンアートというにはおこがましいけど、羽生くんの(スケートの)ここが素敵〜大好き😘と叫んで、理不尽な状況には怒って💢、また叫ぶわけです。
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撮影や録音の技術が皆無だった頃は、造形物以外の芸術は残すことが難しかったのでしょうね。
歌舞音曲の中でも、音楽は楽譜という形で残せるようになりましたけど、舞踊は相伝でないと型も残せなかったのではないでしょうか。
そして、シンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング?)は水中撮影ができるようになってなければ、今のようにはなってなかったでしょうね。
また、スキーやスノーボードは雪が、スケートは氷がなければできません。
芸術は、撮影や録音の技術と、その環境を整えることでようやく、世界から鑑賞できるようになったのだと思います。
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だとすると、現地で直接鑑賞できるのが、最も贅沢なのだなと感じます。
私はおそらく、ルーブルやエルミタージュなどの外国の美術館に赴くことはこの先ないと思います。
また、マチュピチュやナイアガラ瀑布の場所に行くこともないでしょう。
でも、画集や写真は欲しければ購入できるはずです。
そして、私が本当に鑑賞できる機会を望むのは、もう、
羽生結弦選手のスケート
だけなのかもしれません。
氷を張るという技術がなければ、スケート自体ができないでしょうから…その電力などを考えると、やっぱり、フィギュアスケートは贅沢な芸術なのかな?と感じますし。
音響機器の設備、照明や映像技術、そういうものを駆使した「フィギュアスケートという芸術の最高峰」は、羽生くんのアイスショーだと思うので…
特にGIFTは、もう、現在の最高の技術と芸術の集大成みたいなものでしたから。
東京ドームであれを見ただけで、一生ぶんの贅沢をしてしまった気がするんです〜
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我が家では羽生くん関連のCSはテレ朝くらいしか入らないんですが、SOIの放送についてはファンの方たちのブログなどに感想が書いてあったので、喜んで読んでいます。
その、楽しみをシェアできるのも、同担がいる喜びの一つですよね。
芸術は、全部を鑑賞できるわけじゃない。
写真や映像も、全部を鑑賞することはできないかもしれない。
でも、その環境の中でも、楽しみたいし楽しんでいる方たちと共に喜びたいし、羽生くんのスケートの好きなところを語っていきたいし、萌えて叫んでいけたら嬉しい☺️です〜
私には表現するほどのものもないし、表現する方法もそんなに(このブログ以外に)ないけど。
これからも、羽生くんのファンの方たちと繋がっていけるといいなと思っています。
読んでくださってありがとうございました。
羽生くんのファン以外の方たちが、読みに来ているということはあるのでしょうか…
ないとは言えないけど、同担以外からは「何言ってんだかわからん」文章になってたりして。