妄想です。
先日のノッテステラータは、3日間開催されましたけど。
3日とも、全く違う印象を受けたのではないでしょうか。
私は11日のライブビューしか見てないので、初日や千秋楽がどんな感じだったのかは、フォローしているブログなどのレポを読んだ範囲でしかわからないのですが。
それでも大まかな印象としては、
10日→ミスするスケーターさんもいた。
11日→羽生くんから伝わってくるものが強かった。
12日→前向きに終わった。
という感じだったのでしょうか。
これを3月11日という日を入れての3日間だったことと、その場所がどういうところだったのかということを踏まえて考えると、妄想族?の私でなくても、多くの方たちが似たような結論に行き着くのかもしれませんね。
3日かけた鎮魂だったのだと。
羽生くんと内村さん、オリンピック連覇同盟と、少数精鋭のスケーターさんたちによる鎮魂。
10日には、まだ「理不尽な終わり方をした人生に納得してない魂が、行き場のないまま彷徨っている」感じで、スケーターさんたちも実力通りのものを披露できなかったのかも。
11日には、羽生くんが(イヤホンをして1人で?)鎮魂の舞を捧げて、ようやく「集まった魂が、今日のこの日に多くの方々に見送ってもらえる」というふうになったのでは?
12日には、残された「今生きている方たち」が前向きになって終われるようにと。
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天と地のレクイエムは、最初に見たときに「失われたものを探して瓦礫の街を彷徨っている」ようだと思ったんです。
その失われたものが、命なのか生きてきた場所なのか思い出なのか故郷なのか…
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12年前のその日、喪われた命。
救いを求めて彷徨う魂。
それは、美しく優しい舞だけでは、送ることができなかったのかも。
あの、慟哭するような天と地のレクイエムでないと、「そうなんだよ、苦しかったんだよ、失いたくなかったんだよ」と共鳴してからでないと、「天に送られる」ことを拒否するくらいの、悲しみが渦巻いていたのかも。
そう感じました。
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芸術は魂の救済なのでしょうか。
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少なくとも、芸術を志す方たちは、人一倍感受性が強いのではないでしょうか。
羽生くんが11日に捧げたレクイエムでようやく少し鎮まって、その後はスケーターさんたちも鎮魂の舞と生きていく方たちへのエールを届けられたのかもしれませんね。
妄想におつきあいいただき、ありがとうございました。