最初にお断りしておきますが、これは私が受けた印象や解釈であって、他の方たちにも当てはまるというものではありません。
また、チケット争奪戦でのくじ運は、何かの会員だったり座席の企業優先枠だったりで違うでしょうから、行いが良かったからとか悪かったからとかいうものも、関係ないだろうと思っています。
なのに自分に関してだけは、こんな感じ方をする…
我ながら変だと思いながら書いています。
…………
羽生くんがプロになって最初に主催したアイスショー「プロローグ」は、私には「ずっと応援してきたファンの方たちにプロとしての旅立ちを見て欲しい」ものというように思ったんです。
○○おち、なる言葉が存在するように、羽生くんのファンになるタイミングはそれぞれ違うのでしょうね。
ニース、ソチ、平昌が三大勢力かな?とは思うものの、北京おちさんたちもかなりいらっしゃるでしょうし、試合ごとにファンが増えている感じもしますので…
ただ、どうしても、「羽生結弦選手にとってつらい時期に支えた」ファンの力という受け取り方をするのであれば、それがいつだったのか?と考えてしまうんですよね。
東日本大震災については、被災地全部に、そして日本という国そのものに関わってきますので、ちょっと置いといて。
羽生くんの個人的なつらさ、というあたりではどの時期を思い浮かべるでしょうか。
私なら、2012年全日本選手権、2016年世界選手権、2019年GPFから全日本選手権あたりになるでしょうか。
また、絶えずアンチに攻撃され、恣意的採点に翻弄され、すけれんに冷遇され、メディアにサゲ報道されてきて…
「傷だらけの月」が、いつどの傷をつけられたのかわからないくらいに、治りきることのない痛みがずっと存在するような感じさえ受けます。
そんな中で少しでも、ファンの存在が羽生くんにとって光になったのなら、そういう方たちが見るものなのだと思いました。
だったら私はライブビューでいい、羽生くんにとって「現地で応援してくれた味方」でも、「偏向採点や捏造報道やアンチに物申した勢力」でもないのだから。
…………
でも、そのライブビューで発表された「2023.2.26東京ドームGIFT」は、違う受け取り方をしました。
これは、自分の置かれている状況がどんなにきついものであっても、あるいはそんなふうには考えてなかったけど何となくしんどいなというだけであっても、羽生くんのスケートを見ることで…
幸せだと感じた。
見て良かったと思った。
もっと見たいと思った。
見るためには頑張れると思った。
そんな受け取り方をしたファンに向けたGIFT、羽生くんのスケートを見る幸せをさらに与えてもらえるものなのかな?というイメージだったんです。
ああ、それなら、私はGIFTを受け取りに行きたいと…
でも、もしも私よりももっと、GIFTを受け取ることが必要な人生を送っている方たちがいるなら、私にはチケットは当たらないかもしれないなと…
それで、最初から、最速先行で第一希望のみで申し込みして、それではずれたらライブビューにしようと決めてました。
あくまでも私の場合、ですよ?
当選したときは、義母からのプレゼントのようにも感じました。
思えば私が羽生くんのファンになった頃は、自宅介護し始めて数年経ってました。
義母とはずっと、同じTVを見て応援していたようなものでした。
義母は私が、羽生くんを息子同様に心配して見てきたことを知ってました。
中国杯の衝突も、平昌オリンピックのパーフェクトバラ1で戻ってきたときも、一緒に見てました。
ああ、これは、羽生くんからのGIFTを受け取っておいでということなのだなと…ありがたくいただきました。
…………
そして、ノッテステラータ…
1つのアイスショーに、これほどの何重にも意味を込められているものって、他にあるのでしょうか?
祈りと鎮魂と、
生き延びた方たちへの希望と、
復興支援と、
忘れないでいて欲しいという思いと、
また災害は起きるかもしれないという備えの必要性の喚起と、
失ったものへの哀惜と、
大切な相手を亡くした方たちの慟哭に対する無力感と、
生き延びて幸せになることへの後ろめたさと、
それでも前を向いて歩いて生きていきたいという願いと、
そして日本各地の、また、世界各地の、災害で苦しむ方たちに寄り添っていけたらという思いを…
どれだけ受け止めればいいのか、
自分に受け止められるのか、
わかりませんでした。
これは、被災地の、そして被災地支援してきた方たちが受け止めるもの。
そう感じました。
それでも迷ったのは、夫がずっと応援してきた内村航平さんも出演するので、夫婦で(結婚記念日は4月だけど)結婚30年の記念に行くというのもいいかな?と、チラッと思ったんです〜
ただ、夫は歩くのがしんどいようなので、駅や空港でそんなに歩かなくて済むのなら行けるかもしれないけど、正直言って、何回も乗り換えたりするのは無理だろうなと。
結局、駐車場からすぐに行けるライブビュー会場のチケットが取れたので、それで良かったのでしょうね。
…………
昨日の羽生くんのつらそうなところは、まだ私の中では消化できていません。
あれを受け止められる方しか、会場には行けなかったのかもしれないとまで思うくらいでした。
夫は内村さんと羽生くんのコラボを見てとても喜んでましたし、私も嬉しかった〜
なのでもう少ししてから、苦しみのほうには向き合おうかなと思っています。
…………
GIFTは羽生くんが、ご自身の立ち位置を確認する場でもあったのではないでしょうか。
吐露した苦しみを受け入れてくれるファン、応援してくれる方たちの喝采を受けて1人で立つ羽生結弦選手。
ひょっとして、私の思いは、声は、あの場にいなければ届けられなかったのかもしれない。
もっと強くもっと長く応援してきた方たちの思いは、その場にいなくても届いていたのかもしれない。
生命の勝利の歓喜のSEIMEI。
一番見たかったSEIMEI様が一番、涙でボヤけてしまったけど…
あの日、羽生くんに、味方はこんなにいるんだよと伝えられた、そのうちの1人になれたなら良かった。
プロローグもGIFTもノッテステラータも、それぞれが受け止めて、羽生くんに伝えられたらいいですね。
素晴らしかった。
また見たい。
何度でも見たい。
見せてくれてありがとう。
…そんなふうに。
読んでくださってありがとうございました。