白鳥さん…じゃなくて、蒼い炎Ⅲ究竟編が届きました。
まだ全部は読めていませんが、とりあえず叫びたいことがあるので…
「みんなの夢はあなたの幸せ 大丈夫だよあなたは最強♪」
と、羽生結弦選手に伝えたいなと思います。
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白状します。
私は2013年福岡GPFからのファンですが、羽生くんが仙台の出身で被災していた、それからずっと支援してきたことを知ったのは、そんなにすぐのことではありませんでした。
シーズン三冠を達成して、オフシーズンにアイスショーなどがあって、その頃にアイリンでの花は咲くを見たと思います。
そして24時間TVで被災地訪問してました。
そこで初めて、復興にはまだまだ時間がかかるだろうということを思い知ったんです。
当時2014年夏、震災からまだ3年あまり、あれほどの大きな災害のあとの復旧が捗っていないなんて当たり前なんですよね。
なのに自分は、あれだけの状況にある東北に対して、何もしていない何もできなかったというだけでなく、心を寄せることさえ日々の暮らしの中で忘れていたのではないか?と。
東日本大震災があったときには、空港も港も道路も線路も被害を受けていて、これはこのあとどうやったら助けていけるのだろうと思っていたというのに。
何日も何週間も何ヶ月も経つうちに、そのときの衝撃と記憶は遠ざかり、息子たちの受験だの義母の介護だの自分の(卵巣嚢腫の)入院・手術だのというものに追われていたんです。
羽生くんのファンになって良かったことはいくつもありますけど、自分が、「忘れてはいけない大切なこと」を忘れてしまわないでいられるようになったこと、これは大きいのではないかな?と思いました。
…………
卵巣嚢腫の手術を受けたのは2011年の11月です。
不正出血があって婦人科を受診し、それで手術になりました。
当初、可能であれば腹腔鏡手術で、無理ならば開腹手術でという話になってました。
2度の帝王切開で子宮や卵巣が他の臓器(腸)と癒着しているかもしれない、それは見てみないとわからないということでした。
結局開腹手術になり、予定より長く入院しました。
次男が中学3年だったので、なるべく受験シーズンまでに回復したかったんですが…
臓器にメスが入ること、全身麻酔、やはり体にはかなり負担がかかっていたようです。
ですが2016年に乳癌の手術を受けたときには、「同じくらいの手術をした中でも最も早いペースで回復している」と主治医の先生に言われました。
羽生くんのファンになって、応援して、元気をもらっていたのは私のほうだったんですね。
私はなんてたくさんのものをいただいたのでしょうか。
応援することで得たものが、自分の中で大きなウェイトを占めているんです。
私にこれほどの影響を与えたのは、家族以外には羽生くんだけだと思います。
ブログも、羽生くんのファンになってなければ、書くどころか読むことすらしなかったでしょう。
当然、ここでお知り合いになった方たちとも、ご縁が繋がることもなかったし。
ヘルシンキのホプレガを見てからずっと続いている、「心に宝物を抱いているような」幸せもなかったし。
平昌オリンピックでの歓喜も、アイスショーを見ることも、東京に行こうなどとすることも、何もない人生を送っていたはずです。
義母のことも、私の負担が重くなったのは要介護3の状態になってからでした。
しんどいな、と思うこともなかったわけじゃないのに、乗り越えてこられたのは、羽生くんのファンになっていたからという部分が大きかったと思います。
家族のことは大事ですが、家族への思いだけで全てを乗り越えていくことが可能だったかどうかはわかりません。
でも、羽生くんのスケートは、しんどいときにも「あとで羽生くんのSEIMEI様を見よう」と思えば、乗り越えられたんです。
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そのときによって違うプログラムになってました。
元気になることも。
しんどいときを乗り越えることも。
震災を忘れずにいられることも。
毎日水道から水が出て、電気が使えるありがたさも。
ブログでご縁ができた方たちと一緒に萌え〜ができる楽しさも。
四苦八苦しながら電子チケットを使うことも。
美しいものを見る幸せも。
カッコ良さにキャーキャー言うことも。
素晴らしいスケートに腰を抜かしてしまうことも。
羽生くんのファンになって得たものです。
他にもどれだけいただいたのでしょうか。
羽生くん、ありがとうございます。
あなたが伝えてくれなければ忘れてしまっていたかもしれないことも、大切に心に抱いていきます。
羽生くんは伝える方。
スケートの素晴らしさを。
音楽がある喜びを。
故郷の復興を願う心を。
伝えてくださったことに感謝します。
ファンになって良かった。
読んでくださってありがとうございました。