羽生結弦絶賛委員会活動・誇りに思っています編です。


誇りに思うのと自慢するのとは、どこが違うんでしょうか?


私の勝手な解釈では、誇りに思うのはそれだけでもできますが、自慢するときには比較相手が必要なのではないでしょうか。


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羽生くんが所属する、していたところ、居住地、国籍、競技、学校、さらに生年月日(それに付随する干支、九星、星座など)、血液型に至るまで。


同じだったら嬉しいし、誇りに思います。


ええ、私は(生まれた月は違うけど)7日生まれ、六白金星というのが一緒なんです〜おねがい嬉しい😆


そして羽生くんが日本人だということは、誇りです‼️


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あいえすゆうやすけれんはそのあたり、もっと羽生くんを誇りに思っても良かったのに…何やってたんでしょうね?えー

 

代わりに?北京オリンピックが、羽生くんを誇りに思っていてくれているようですけど。チュー


羽生くんが卒業した学校などは、どれほど誇りに思っていてくださることか。


そして東北にとっては…本当に、何年もかけて、灯火を高く掲げていたのは誰なのか?わかっているのでしょうね。


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よく、アンケートのランキングなどで「日本が世界に誇れる方は?」というものがあったりしますけど。


羽生くんほど、ジャンルを問わずに各方面に知名度好感度が高い方は、そんなにいないのではないでしょうか。


そして、諸外国からよく知られていること、尊敬され憧れられているというあたりでも、他に類を見ないほどだと思います。


羽生結弦選手はアスリート、それもオリンピック2連覇の金メダリストなんですから、まずその「スポーツとして」どうなのか?を見ていくと。


羽生くんの場合、どれか1つだけでも大変な功績なのに、それがいくつも重なっているというあたりが、他のスケーターさんたちとは違うのではないでしょうか。


○オリンピック2連覇


男子シングルでは66年ぶりの快挙。だいたい、オリンピックで金メダル獲得後、次のオリンピックに出場する選手があまりいない。


○世界初成功の技


4Loは、半回転多く回らないといけないアクセルジャンプを除いて、成功者が出るのが最も遅かったクワドジャンプです。他にも、4T-3Aや4T-1eu-3Fなどのコンビネーションジャンプも。


○世界記録19回更新


最初は17歳のときのSPパリの散歩道で。史上初のSP100点超え、110点超え、フリーの200点超え、220点超え、合計の300点超え、330点超えなど。


○男子初のスーパースラム達成


2009年、JGPF優勝(当時男子史上最年少で獲得)

2010年、世界ジュニア選手権優勝(そのシーズンジュニアでは無敗)

2013年、GPF優勝(SPで世界記録)

2014年、オリンピック金メダル(SPで世界記録、史上初の100点超え)

2014年、世界選手権優勝(男子2人目のシーズン三冠達成)

2020年、四大陸選手権優勝(SPで世界記録)


○男子初のGPF4連覇


GPFはGPSで2試合とも好成績じゃないと出場できません。まして、オリンピック金メダル獲得後に次のシーズンにGPF優勝するのは異例のこと。しかも、中国杯で衝突のアクシデントがあったにも関わらず。


アスリートとしての実績だけで、こんなにある〜


なんかもう、これだけで充分でしょ?という気がしてきた…


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震災復興支援としての活動は、もっと広く知られても良いのではないか?と思うんですが。


寄付の件は何故か、メディアがなかなか報道してくれませんね。


金額も相当なものですが、何よりも、それを継続して行っているというあたりに、もっと目を向けてもらいたいんですよね。


私は、人間の心を蝕むものの1つが、「不安」だと思っています。


日本は災害の多い国です。


大きな災害があると、そのときは手を差し伸べてもらえたとしても、次にまた別の災害が起こるとそちらに耳目が集まるんですよね。


まだ復興途中の自分たちは忘れられてしまうのではないかという不安、それが心を疲弊させてしまうかもしれません。


そんなときに、「忘れていない」と発信してくださる方がいたら、継続して支援してくださる方がいたら、どれほど励まされることでしょう。


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表現者としての羽生くんがどのくらいのレベルにいらっしゃるのか、私のような芸術音痴にはわかりません〜


音楽家さんたち、舞踊家さんたちの絶賛ぶりから、フィギュアスケート界では群を抜いているということは確かなのでしょうけど。


YouTubeで動画配信しているものを見ると、映像クリエイターとしての才能もかなりのものなのではないか、しかも猛スピードで向上中なのではないかと思うんです。


ちょっと気になっているのは、サザンカなんですが。


「君が一番輝いてる瞬間」♪は、プロローグのときにはGPSロシアだった気がするんですよね。


足を痛めても表彰台の頂上に立ったのがその「瞬間」だったのでしょうか。


それが、YouTubeでのサザンカでは、プロローグでのSEIMEI様だったように思うんです。


羽生くんにとってのその「瞬間」はもう、表彰台の頂上に立ったときではなく、自らの思い描くスケートを存分に見てもらえるときなのかもしれないと感じました。


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東日本大震災から12年のときを経て、宮城県で行われるノッテステラータ。


東京ドームという空間を使って行う、GIFT。


プロローグという(ほんまに序章やったんやね)短い、でも濃密な助走を経て、いよいよ羽生結弦という稀代のスケートクリエイターが始動するのですね。


数年、数十年経ってから、「私はあの羽生結弦選手がプロになったときをよく憶えている」と自慢するようになるかもしれませんね。


ずっと前から応援していた、そのことを羨ましく思われるような、そんな日が…


読んでくださってありがとうございました。