何が正義なのか?
そんなもの…
時代によって、国によって、法律によって違う気がします。
だけど、もしも…
決められたルールがあるなら、それに従った公平で厳密な審判がくだされることなんじゃないんですか?
それは、裁判であっても。
そして…
スポーツであっても。
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サッカーのワールドカップでは、ボールにセンサーが入っているのだとか。
ラグビーのワールドカップのときには、カメラ台数が多かったとか。
そういう、より公正に厳密にジャッジするための努力がなされているのは、素晴らしいと思います。
私がフォローしているブログはほとんど羽生くんのファンの方たちですが、ワールドカップを見ていた方はみなさま同じように感じていらっしゃるようでした。
その上で、翻って、フィギュアスケートの採点は?というものです。(ーー;)
そりゃそうですよね、AI云々以前に、複数カメラやスロー再生さえ導入しない採点を未だに続けているんですから。
たぶんまだ、50年くらい前の感覚なのでしょう。
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以前、羽生くんが平昌オリンピック後北京オリンピックまでの四年で得たものは?ということをブログに書きました。
羽生くんご本人が得たものではないけど、その間に進んだ映像の技術や解析、そしてそれによって改善されている各スポーツの審判方法を世界が知っている、という時間による変化もあったのではないでしょうか。
また、このところのSNSでの発信力を考えると、既存のメディアの影響力の低下や、逆に一個人の発信できるツールの拡大などもありますよね。
私がブログを書き始めたのが2019年です。
そんなことをしようなどと、私自身は2014年くらいまでは全く考えてはいませんでした。
というか、アメーバの存在すら知らなかったかも。(⌒-⌒; )
スマホに機種変したのが2015年の秋、それまではネットニュースも知りませんでした。
ですが最近、TVでのCMなどは影響力がかなり低下しているだろうなと思うことが多々あります。
私が羽生くん関連のものを購入するとき、TVのCMでそれを知ったということがほとんどないんですよね…
写真集や雑誌の発売、これはフォローしているブログで知ります。
羽生結弦展や共に、前への情報もブログからだし、スポーツ新聞や写真集関連のTwitterも紹介してくださってます。
羽生くんご本人のTwitterも YouTubeもInstagramもありますよね。
今はTVでCMを出さなくても、Twitterでちょっと呟けば大勢の方たちが拡散してくれることもあります。
羽生くんが、
東京オリンピック開会式その他で問題になった電○とかいう広告業界のブラック企業に睨まれているからか、
あまりTVでのCM出演がなくても、そのファン層の購買意欲はわかるところにはわかっていたのでしょうね。
でなければ、新聞社(の、ライターさんや写真家さんなど)がTwitterで「明日の○面に羽生結弦選手の記事」なんて呟いたところで、意味ないでしょう?
広告費のかかる媒体を使わなくても、売り上げを伸ばせるんですから。
TVでCM放送しなくてもいいか、という気分になるかもしれませんね。
大型書店さんでも、ポップとコーナーの設置をお知らせしたら、集まる人数の効果は相当なものになっていたでしょう。
一方で、わざわざ高額の費用を使う交通広告を出して、自社が「羽生結弦選手の経済効果を熟知してます」と訴えかけてくることもありますし。(⌒-⌒; )
でも、何よりも、羽生くんご本人がYouTubeなどで出せることの威力、これはあるとないとでは全然違うのではないでしょうか。
そして、広告とTVなどのメディアが電○に仕切られていて羽生くんとの関わりを強くできなかったとしても、羽生くんご本人の影響力がさらに高まっていくなら無視できませんよね…
そこで大切なのは、羽生くんは「権力側に贔屓されて高く評価されていたわけではない」ということです。
これまでの放送、映像、諸外国からの意見、そういうものを知ることができたらある程度わかるはずです。
恣意的採点によって低く評価されてきた、ずっと冷遇されてきた、ということが。
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正義はどちらにあるのか?
ルールがあるなら、それに従ったほうにあるんです。
ルール通りに採点されていたとしても、得点はともかく順位は変わらなかったかもしれません。
でも、「ルールを捻じ曲げてでも(権力側が)勝たせようとした選手」には、あまり正義というものは感じられないのではないでしょうか。
VARというのですか?日本のゴール寸前のボールの位置を確認した技術。
あれで、日本に喝采を送ったのは、日本の相手チームに「本当はあのジャッジは間違っていたのではないか?」という判定で敗退したことのある国も、あったようなんですよね。
審判の誤審で負けたと思ったら、その恨みはずっと続くんですね。
そして、誤審で勝ったと言われたほうも、後味が悪くなるか、それでも構わないとのさばって顰蹙をかうかのどちらかになるかも。
審判も含めて、幸せになる人が少ないのに、恨みを持つ人数は何十倍にもなるんです。
そして、日頃の生活でも、権力側の不正によって、いい思いをする人よりも痛い思いをする人数のほうが圧倒的に多いんです。
せめてスポーツでくらいは、正義がなされて欲しいと願うんです。
だから「最先端の技術でこういう判定になった」ということに、多くの方たちが納得するのではないでしょうか。
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羽生くんを応援する人数が増えていくのも、その魅力に惹きつけられるからというだけではなくて…
権力側から「得点、順位、メダル、記録など」を一方的に奪われたほうであり、与えられたほうではない、ということも関係してるのではないか?と思っています。
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私が羽生くんの出場しない試合を見なくなった、今シーズンは全く見ていない理由としては、採点へのストレスがありますが。
もうひとつ、これは(たぶん私だけじゃなくてサイレントマジョリティのような気がするけど)抗議行動です。
元から現地観戦はしてないけど、それでも、TVで放送されたものくらいは以前は見てました。
けれどもう、採点が正されるまでは見ることを拒否します。
あいえすゆうとすけれんが、羽生くんの次のスターを作りたくてあくせくしてるのならなおのこと。
一切見ない、知ったことかそんなもん。
という気分です。
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正義は真っ当な競技にしていこうとしなければ、すぐに失われてしまいます。
ずるく立ち回ろうとする人は、あとを絶たないでしょうから。
複数カメラ導入がされないのも、別角度から見られては困る陣営があるからではないのか?→どの角度から見てもこうだったとわかるようにしていかないと、納得できない判定はいつまでも続くでしょう。
たいていの人間は、自分を正義の側だと思いたいんです。
ルールを歪めても勝たせようと、権力側がやればやるほど、それで無理に負けさせられたほうに人望は集まるでしょうね。
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言いたいことが溜まってしまったので、でも、羽生くんのプロローグの当日にはあまりふさわしくないかな?と思って、今日書くことにしました。
明日はライブビューで萌え転がってくる予定ですので…
また、ガラッと雰囲気が変わったブログになると思います。
…たぶん。(^◇^;)
読んでくださってありがとうございました。