介護の話です。
皆さまだいたい一番気になっているのが、自分が世話する側になった場合でも世話される側になった場合でも、排泄のことなのではないでしょうか。
いわゆる下の世話というものですね。
まあ、今日はそういう話になりますので、お食事中の方はまた後ほど…
…………
まあ、実際には、それをしなければならないときにはするでしょうし、今どきは調べたらいくらでも「やり方を教えてもらう」ことはできるでしょうし。
また、相手の状況によって何をしないといけないのか?も、違ってきますし。
その上、状況は変わるものなんですよね。
私が義母相手にした排泄に関わる介護なんて、5年くらいのもので。
義母が脳梗塞で右半身麻痺と言語障がいになってから最初の10年くらいは、私はほとんど何もしてないようなものでしたから。
義母が自分でトイレに行き、車椅子から便座に移動して、着脱も拭くのも流すのも全部やってましたから。
…おかあさん、よう頑張ってくれはったよね。
私の実の祖母は85歳で亡くなったのですが、この85歳という年齢は「ガクンと落ちる」ものなのかな?と思ってしまうんですよね。
体力、気力、認知、食欲、色々なものがレベルダウンしてきました。
それまでほとんど現状維持していたことが、できなくなることが増えたんです。
移乗のときに転倒することがある。
排泄のタイミングを自分でわかってないときがある。
それまで普通の下着を使ってましたけど、リハビリパンツ&尿取りパッドを使うことになりました。
トイレに行くときも、介助しました。
それも最初の頃は、どれだけ手伝ったらいいのかわからずに試行錯誤。
でも、次第に、移乗は全面的に介助することに。
転倒してから助け起こすのは大変だし、転倒しかけたときに無理に支えようとすると私の腰への負担が危険レベルだと思ったので。
そうして、トイレの着脱も手伝うようになり、排便後の拭き取りもするようになり、流したあとに義母の手をウェットティシュで拭いてました。
2度目の脳梗塞で入院して、その退院後からは夜間にはリハビリパンツではなくオムツ(と、一晩中吸収のパッド)を使うようになりました。
ウイルス性胃腸炎のときには、尿だけでなく便のほうも漏れたりあちこち汚したりで、後始末もなかなか大変でした。
けど、これ…
相手が大人だから大変という部分はあるけど、要は、子どもたちが幼かった頃にしていたこととそんなに変わらないんです。
だんだん自分でできるようになっていく子育てとは逆に、だんだん自分でできなくなっていくことを手伝わないといけなくなるというだけで。
いつまで続くかわからない不安はありましたけど、少なくとも、私の体力に問題がなければ無理ではないかなぁ〜という感じでした。
…………
正直言って介護の一番大変なところは、そこじゃないと思ったんですよね。
少なくとも、私が義母にしていたことを仕事としてやって欲しいと言われたら、お給料もらえる分ラッキー❣️と思いますもの。
何が大変って、介護するほうされるほうの精神的負担が重いのが、もっとしんどいんじゃないかな?と思います。
○嫁いびりしていた姑を介護する
○結婚に反対していた舅を介護する
○嫁は介護して当然という態度の義兄弟がいる
○夫は知らん顔している
こういう状況だと、無理〜
あるいは、介護される側のプライドについても難しいところがありますよね。
「人の世話にはならん」→なっているがな。
「漏らしたみたいに言うて恥をかかせる気か?」→漏らしたらあとをちゃんとせんと、肌が痛くなるやろ?
「自分でできてるし口出しせんといて」→できてへんし言うてるのや。
「汚したのは自分やない」→自分が着ていたものやんか?それ。
「シモの世話までしたて言うて、恩つける気か」→今さら恩着せてどうするねん。
これ、実は、ほとんど…
義母が義祖母の世界をしていたときの会話なんです。
大変だったと思います。
当時私は妊婦だったり乳児を育てていたりで、見ていただけでした。
義母はよく頑張っていた、なのに報われることがあまりなかった介護だったなと思います。
…………
義母は自分がした苦労を私にさせたくないと思っていたようです。
だから私がした苦労は、義母に現状を把握して受け入れてもらうということだけでした。
「誰かて年取ったら、できひんようになってもしゃあないやん?おかあさんはリハビリでよう頑張ってはるさけ、ここまで現状維持できたんやし。できひんようになったことは私にさせてくれはってもええんやで。そやし、トイレもついていくさかいに転ばんようにしよな」
そのように話したと思います。
義母は受け入れて、ちゃんと私に介護されている自分を認めていました。
介護されるなら、介護するほうが気分良く介護できるようになるほうがいいですよね?
義母の生き方は、介護される側としては模範だったのだと思います。
…………
余談ですが。
実は、トイレ介助すると、思っていたより待ち時間があったりするんですよね。
義母は膀胱炎だったりしたので、排尿にも時間かかるときがありました。
それがまあ、ヒマというか所在ないというか…
それが…
2019年のアメーバのKOSEさんブログに、羽生くんが登場したことを憶えているでしょうか?
「美」についての話で、「凛とした姿勢」という言葉が出てきたと思います。
あれから私は、姿勢を良くしようと思いました。
羽生くんがおっしゃっていたのは、生きる姿勢のことかもしれません。
でも、私は、トイレ介助でヒマ〜な時間ができたときは、とにかく自分の姿勢を良くしようと真っ直ぐに立つようにしました。
こんなときでも、自分を良くするための時間にできる。
大袈裟な言い方をするなら、羽生くんから生きる指標をもらったような気がしました。
いつだって、ご自身を高める生き方をしている方を応援できて良かった。
そう思いました。
読んでくださってありがとうございました。