一流は一流を知る。
先だっての羽生くんのプロ転向を受けての、大谷翔平選手のコメント。
昨日の、その大谷選手の快挙に対しての、羽生くんのコメント。
まあ、「行ったついでだから」的に、TV画面としても使えるものだからという感じで、そのタイミングだしということで尋ねたんかーい。
とは思いましたけどね、同学年のトップアスリート同士だからと言って、ご本人のやってることに関係ないインタビューを差し挟むことの是非は、この際置いといて。
お互いのリスペクト、というか、他競技のアスリートへの敬意というもの、その意識のあり方が何というか…
一流だな、いやもう、超一流だなと。
…………
以前にも似たようなことをブログで書いたような気がするんですが。
他者の長所、自分にはない美点を認めるのが一流だとするなら。
そういうものに嫉妬するのは二流なのではないでしょうか。
三流になると、もう、理解もしていないというふうに感じます。
フィギュアスケートでいうと、自分の理想というものを思い描いているとして。
他選手の得意なものを理解してリスペクトして、それを自分にも取り入れて理想に近づこうとするのが一流なら。
理解はするけど、自分にないもの…「美しく実施する高難度ジャンプ」とか「多彩なポジションのスピン」とか「音楽家、舞踏家にまで絶賛される表現力」とかに嫉妬するのは二流だと思うんです。
さらに、三流だと、理想像さえしっかりと持たないまま、彼我の差さえ把握しておらず、自分に足りないものは何なのか理解してなかったりして?
おや〜?
どなたか、思い当たる選手がいますか?
誰のことでしょうね。(^_^;)
…………
さて、羽生くんと大谷選手ですが。
それぞれの競技の性質上、また、現状に即して仕方ない部分もあることは承知の上で。
勝手に憶測するなら、お互いに、自分になくて相手が持っているものに対して、敬意と賞賛と、「いずれ自分もそれを手に入れられるなら」という熱意を持っていてもおかしくないなと。
羽生くんが持っていて、大谷選手が持っていないものは。
オリンピック金メダル、諸外国のファン、日本の代表としての立場、そういうものではないでしょうか。
では、大谷選手が持っていて、羽生くんが持っていないものは。
プロ選手としての実績、それに見合う収入、チームメイトとの関わり方、そういうものではないでしょうか。
自分になくて他者にあるもの、それを得るまでの努力や経緯を尊重して、自分もいずれそのようになりたいと望むのであれば、それはあくなき向上心ですよね。
アスリートとしては、向上心はいつでもモチベーションなのでしょうから。
だからいつも、輝いているように見えるんだし、ファンも惹きつけられるのだと思います。
…………
オリンピックの選手たちはインタビューで、よく、競技のことをもっと知ってもらいたいと話しているように思います。
知って欲しい、好きになって欲しい、やってみて欲しい、観戦して欲しい…
それはどの競技でも、競技人口やファンを増やして規模を拡大したいなら、そう望むものなのではないでしょうか。
ところが、何というか…
フィギュアスケートも野球も、その絶好の機会を逃しているんですよね…
野球はオリンピックで、もっと全世界に競技を知ってもらったほうが良かったのでは?
なのに、何か、メジャーリーグがそれには消極的だったように感じるんです。
サッカーのワールドカップなんて、各国のリーグに所属する選手たちが、自国の代表選手として出場してガチの試合をするんですよね?
野球では、何故それが普通にできないんでしょう。
メジャーリーグの選手たちも、日本のプロ野球選手たちも、それ以外の国で活躍している野球選手たちも、それぞれ自国の代表選手としてオリンピックで試合をする…
それが当たり前になって初めて、野球が世界規模の知名度になると思うんです。
それでなくてもルールが複雑なのだから、もっと「これまで競技を知らなかった人々」へのアピールができる場を盛り上げて欲しかったのに。
メジャーリーグには自分たちの試合が大事だったのかもしれないけど。
うがった見方をするなら、世界最高峰のメジャーリーグと思われるためには、簡単に負ける(かもしれない)試合にトップ選手たちを送るわけにはいかないのかな?とか。
もっと裏を読むなら、アマチュアアスリートの祭典であるオリンピックのドーピング規定に引っかかる選手続出では、困るのかな?なんて…
思うんですよね。
でも、それではいつまでも、サッカーやゴルフやテニスのような、メジャースポーツにはなれないでしょう?
大谷選手は素晴らしい成績を残しているけど、それがどう凄い‼️のか、わかってもらえる範囲が日本とアメリカ以外ごく僅かな国しかないんですよね。
もったいない。
でも、これで大谷選手は、野球をやってる子どもたちに、投手と打者の二刀流は不可能じゃないということを示しました。
それを目指す選手たちの道標になるのは、開拓者だからこそなのでしょうね。
フィギュアスケートは野球に比べたら、競技人口もファンももっと広範囲の国にいるのではないでしょうか。
そして、ISUにはファンをもっと増やしたいという(分不相応なくらいの)野心はあるようです。
でも、やり方は完全に間違えたと思います。
ルールが複雑でわかりにくいなら、せめて採点は公正で厳格なものであるべきでした。
ルール?→わかりにくい
採点?→もっとわかりにくい
順位?→わけがわからない
ドーピング問題?→どないなっとるんやー
せっかく、これまで競技を知らなかった国や地域の人々にまで、見たいと思ってもらえるスケーターが現れたというのに。
競技そのもののファンにできなかったのは、ルールがわかりにくいだけでなく、偏向採点で事実と乖離した順位だったからです。
これはこのあと、どうなるんでしょうね。
…………
羽生くんはプロのアスリート、プロスケーターとして、自らがまず「これだけの実力があれば、どういう活動とそれへの対価が得られるか」を示していかないといけないと思います。
それができないと、「羽生結弦という稀代のスケーターでも、(偏向採点で順位を下げられたり)プロとしての収入は他競技のトップよりかなり少ない」という、夢も希望もない(儲からないという身も蓋もない)事実を世界に広めることになってしまいます。
それは、競技そのものへの致命傷になるかも?
いえ、私は別に構わないんですけどね。
競技としてのフィギュアスケートが廃れてしまっても、もう、惜しいとは思わないくらいにはISUに愛想もくそもつきてしまいましたから。
でも、羽生くんは違うでしょう?
羽生くんは、「羽生結弦のスケート」を見て欲しいんですよね?
だったらそれは、見せるにふさわしいものを提供して、しっかりと対価を得るのが良いのではないでしょうか。
実力で負けた気がしないのに採点で負けたとか、ナショナルバイアスで大国の選手には勝てないとか、そんなスケーターでも。
「羽生結弦のスケート」、それを理想として目指すことはできるでしょう。
そのとき、「羽生結弦のスケート」なら、これだけの収入になるという指針はあったほうがいいので。
プロとして、そのスケートを見せることの対価は得てくださいね。
もっとも、「羽生結弦のスケート」の知名度を高めるための広告としてYouTubeを使用するというなら、それはそれで一つの考え方ではあるでしょうけど。
ファンは、羽生くんご本人の収入になるような形での課金をしたくてたまらないのだということは、理解してもらえたら嬉しいです〜
読んでくださってありがとうございました。