羽生くんの「あり得ないエピソード」


いやー、みなさまレゾンとダムパリでスケオタ大晦日を盛り上げてらっしゃるのに、リアフェに戻ってんのかーい?


という感じにしてしまいましたが。


リアフェに出てきた言葉も、レゾンに出てきた言葉も、羽生くんそのものを彩るスパンコールみたいにキラキラと散りばめられているもので…


つい、反応してしまうんですよね。


羽生くんは漫画やアニメの主人公としても、設定盛りすぎと言われるレベルのエピソードの持ち主ですが。


まあ、もしも1994年12月7日に、小説か漫画の連載が始まったとして。


その日に生まれた子どもが世界随一のアスリートになる、フィクション近未来スポーツ物語を書くとしたら…


羽生結弦物語にはならなかっただろうなと。


少なくとも、東日本大震災とコロナ禍はそういうパターンには収まらない内容だと思います。


こういう話の主人公の逆境は、主に個人的なことや所属する組織に関することであって。


まさか、国家を揺るがす大災害や、地球規模の疫病をフィクションには入れないでしょうね。


もちろん、過去のこととして書くなら別ですが。


未来のこととして書くのは…


「そんなことあるわけない」と、フィクションなのに、余計に、リアルさから遠ざかってしまう。


なのでちょっとその2つは置いといて。


他の「あり得ないエピソード」について。


今日はオリンピック編です〜


(今日は?また、他の日にもやるんかーい)


…………


オリンピックの申し子。


以前にも書いた気がするんですが。


1994年、それまで夏季冬季同年に行われていたオリンピックが、初めて2年おきに開催となったんですよね。


この1994年リレハンメルオリンピックの年に生まれたアスリートが、何人も活躍していますよね。


1994年生まれ…まさに、オリンピックの申し子です。


日本人アスリートとしては、野球の大谷翔平選手を真っ先に思い浮かべる方たちも多いのではないでしょうか。


オリンピック金メダリストも複数います。


フィギュアスケート界では、コリヤダ選手やジェイソン選手などが長く活躍してますよね。


そんな中でも、羽生結弦選手は飛び抜けています。


そして、羽生くんは冬季オリンピックのたびに何かしらの転機を迎えています。


まず、1994年、リレハンメルオリンピックの年に生まれたわけですが。


次に、1998年、自国開催の長野オリンピックの年に、お姉さまがフィギュアスケートを始めたのが、羽生くんの競技の原点なんですよね。


そして、2002年、ソルトレイクシティオリンピックで、ヤグディンさんとプルシェンコさんの頂上決戦を見てフィギュアスケートにのめり込むわけです。


ちなみにこのオリンピックでは、SPが終わった時点で2位につけていたのは、日本の本田武史さんでした。


羽生くんは、たぶん当時まだ小学1年生、日本男子も世界のトップで闘っているのを見て、ワクワクしていたことでしょう。


羽生くんもフィギュアスケートに邁進して、頭角をあらわしてきます。


けれどその後、経営難によりホームリンクが閉鎖することに。


練習時間が減って、成績も下がってしまいます。


一方で、練習の大切さを実感したり、練習できる環境を切望したりといった、ずっと恵まれた環境にいては思わなかったかもしれない心情を経験したのかもしれませんね。


そして、2006年、トリノオリンピックで女子シングルの金メダリストになったのは、荒川静香さんでした。


日本フィギュアスケート界待望の、初の金メダル獲得🥇。


その波及効果で、仙台のリンクが再開されることになるんですよね。


まさに、オリンピックのたびに運命が動くんです。


2010年、バンクーバーオリンピックの年には、羽生くんはジュニアの試合を全勝しました。


これはちょっと、今から考えても凄いことですよね。


男子では、17〜8歳くらいまでジュニアにいることも多いし、その中で14〜5歳の羽生くんが勝ち続けるって…


びっくりびっくりびっくりびっくりびっくり


確か、当時JGPFの男子最年少優勝だったはずです。


ジュニア無双。


*\(^o^)/*


そこからの、2014年ソチオリンピックです。


ジュニア二冠からの4年間も、「これでもか‼️」というくらいのエピソードがありましたけど。


オリンピックに照準を合わせます。


まず、初の団体戦があったんですよね。


その最初の種目、男子シングルSPに羽生くんは出場します。


そこで、憧れてきたプルシェンコさんと、生涯ただ一度の対決となったわけですが…


SPの順位は羽生くんが1位、プルシェンコさんが2位。


でも、団体戦ではロシアが1位、日本は5位。


これは勝敗としては、どう考えればいいのでしょうね。


そして個人戦では、プルシェンコさんが棄権。


開催国の選手が不在の男子シングルで、羽生くんは…


SPで世界記録更新、初の100点超え。


フリーも1位で金メダル🥇獲得‼️


2018年、平昌オリンピックでは、ディフェンディングチャンピオン、前年度の世界王者、SP、フリー、合計得点全ての世界記録保持者として「圧倒的な金メダリスト最有力候補」のはずが…


シーズン途中に大怪我して、間に合うかどうか?という事態に。


いやもう、どこまでドラマティックな展開になるんですか?


3ヶ月ぶりの実戦復帰が、連覇のかかるオリンピック本番って…


(^_^;)


それで連覇するって…2つ目のオリンピック金メダル🥇🥇


(^◇^;)


いやー、オリンピックの申し子の本領発揮。


と、思っていたら。


2022年、北京オリンピック。


まさかの出場…


これはもう、運命がそこに導いたとしか思えないくらい、偶然やさまざまな状況が重なってのことでした。


よっぽどオリンピックに呼ばれているのでしょう…


なのに、SPでは最初のジャンプの踏み切りで?穴にハマってしまうというアクシデント。


フリーの前日練習では、怪我。


そこからの、フリーで「成功すれば世界初」の大技4Aに挑戦‼️


成功はならなかったものの、認定はされました。


そして、メダルを獲得できなかったにも関わらず、それまでよりもさらに多くの方々に応援されるようになったんですよね。


なんていうか、ここまでオリンピックとの絆が強いって…


単に出場しただけ、メダルを獲得しただけ、という選手たちとは明らかに違うと感じるのは、私だけでしょうか…


平昌オリンピックは、羽生くんが登場した瞬間に、「オリンピックの魂が入った」と感じました。


北京オリンピックでは、「ハニューはどこだ?」と何度も外国メディアから質問があったりとか。


どちらのオリンピックでも、主役は羽生結弦選手。


そんな、あり得ないくらいのエピソードが満載ですね。


読んでくださってありがとうございました。