日本人は西洋への憧れからか、ヨーロッパ圏の王侯貴族に対してかなり美化されたものを信じているように感じます。
いやー、ちょっと待ってくださいね。
特権階級はそんな、高尚な善人ばかりのはずないでしょう?
日本の皇室のような、社会の規範というような方たちとはかなり違うと思います。
というか、日本が特殊なんですよね。
たいていの国の王侯貴族は、傲慢でわがままで横暴で庶民を虐げて搾取してのさばっているものなのだと思いますから。
そしてまあ、フィギュアスケートは貴族発祥ということらしいので。
ちょっと「こういうことなのかな?」と考えたんです〜
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王侯貴族にとって、芸術家とはどういう存在か?
それは何というか、対外的に見せびらかすような、いわばステイタスなのかもしれませんね。
彫刻、絵画、陶磁器などだと、出来上がったものを購入したり献上したりするので、良いものを見極める目が大事になりますね。
でも、その場で披露するもの、歌舞音曲だとどうなるでしょうか。
式典だったり、賓客をもてなす場だったり、記念行事だったりすると…
「失敗しない」ことが大事になりますよね?
難しいことをして失敗するより、簡単なことでいいから卒なくやり終えて欲しい。
選ぶ側が考えるのは、そういうことなのだと思います。
まあ、多少は「おお、これは凄い」と思わせる部分も必要でしょうけど。
そういう「おお、凄い」ということを5回して1回失敗するよりは、3回しかしなくても失敗しないほうを選びたい。
ISUにしても、そういう意識がどこかにあるのでは?
いわば、「貴族から、君主に推薦する人物を見極めて欲しいと頼まれた」立場だとしたら。
君主が国賓に披露する芸術は、奇を衒うもので顰蹙をかっても困る、難しいことに挑戦して失敗しても困る、「適度に難しいことをしてるように感じる程度でいいから、失敗しない、卒なくこなす人物」を選ぶのでは?
何しろ王侯貴族という存在にとっては、芸術は「わかったふりをしてネタにして社交辞令」ができればそれでOKなので。
特別難解なものである必要はないわけです。
そこを踏まえて、では、フィギュアスケートという歌舞音曲の第一人者を選ぶならどうするか?
同じくらいの力量の持ち主が複数いたとしたら、こちらを選ぶだろうなというのが…
①主君と同じ国籍、民族>他国人、他民族
②卒なくこなす>難しいことに挑戦するぶん失敗のリスクがある
③爵位の高い貴族が後ろ盾にいる>下級貴族や民衆が後ろ盾
④見栄えがする>多少見栄えでは劣る
こうやって比較すると、ISUが誰を「オリンピック金メダリスト」として推薦したくなるか、わかるかも…
(ビジュアルくらいかなー、羽生くんが有利なのは…モゴモゴ)
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ときは流れ、芸術は王侯貴族たちだけが楽しむものではなくなり、好事家はとことん鑑賞にのめり込み、素人の民衆までがTV、動画サイトなどで知ることができるようになりました。
そして民衆は、「単に失敗しないだけのつまらないもの」よりも、「より難しいことに挑戦する」ほうに心を揺さぶられるんです。
さらに、権力者の庇護のもとにあるおかかえ芸術家よりも、本当にそれを鑑賞するだけで幸福感で満たされるもののほうに心を寄せるんです。
まして、スポーツとしては、人間の限界に挑戦する意欲を持つアスリートのほうに、心を熱く突き動かされるのは当然なのではないでしょうか。
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世の中はもう、一部の特権階級が「どうだ、わしの見込んだ者は凄いだろう」に対して「さすが公爵様お目が高くていらっしゃる」という太鼓持ちばかりが周囲にいる、という時代じゃなくなってますよね。
「あー、あの人の見る目て、そんなもんなん?私やったらこっちのほうがええわ。まあ、あちらはあちらで楽しんではったらええんとちゃう?私はこっちが見たいねん〜❣️」
ということで、住み分けが進んでいるならよろしいのですが。
さて、どうなるでしょうね。
読んでくださってありがとうございました。