えー、皆さん…


羽生くんの頭脳明晰ぶりにクラクラしつつ、声にうっとりしながら、マスクしている顔に見惚れて過ごしてましたか?


(それ、私やんかー)


とりあえず、10日安静にしているはずの方が3Aというズッ友と仲良くしていたことはスルーして。


(スルーするんかーい)


ちょっと他の選手たちとはあまりにも視点も立ち位置も違うことについて。


(そんなん今さらやんかー)


あれだけの広範囲の方への感謝と敬意を表せるのは、それだけ負っているものも多いからなんだろうなと思いました。


…………


子どもの頃というのは、自分のことは自分でできるようにと、徐々に責任を持つべきことについて学ぶんですよね。


自分のことを全部自分の責任で行えるようになったら、一人前だとみなされるという感じでしょうか。


何十年も前なら、結婚してこそ一人前という変な常識もあったようですが。


それも、要は「自分以外の人についての責任も負える」から、ということなのでしょうか?


そして、子どもが生まれたら、これはもう、子どもが一人前になるまでは親(や保護者)の責任ですよね。


では、私たちは今、どれだけの範囲の人に対して責任を負っているでしょうか。


家族、職場、親戚、友人、近所、所属するグループ、そして国や地球に対して。


家族に対してはほぼ全部かもしれません。


でもそれ以外に関しては、トップでなければそこまで、全てを自分の責任だと思うようなことはないでしょう。


職場に対してなら、任されたことを達成できればそれ以外の分まで負わなくてもいいでしょう?


近所には迷惑かけてなければ何も問題ないはずです。


少なくとも、70m先の家で何か起こったとしても、それを自分の責任だと思うことはほとんどないでしょう?


では、羽生くんは?


以前から思ってました。


フィギュアスケート界に対しての責任感がどれだけ強いのだろうかと。


今回のオリンピックだって、もしも羽生くんが出場してなかったらどうなったことか。


まず、4カテゴリーともにディフェンディングチャンピオン不在のオリンピックになっていたでしょう?


メダリストたちだって、羽生くん抜きのオリンピックで取れたメダルというふうにしか、見てもらえなかったかも。


一方で羽生くんにとっては、得られるものはほとんどなく、失うことはかなりあるかもしれないオリンピックでした。


感染の危険、怪我のリスク、そして何をしても叩くアンチ、自分には発動されるシリアスエラーで低くされる得点。


それでも、SPとフリーと両方でパーフェクトにできれば、という希望的観測もできないわけではなかったんですよね。


マジカルモーメントが、4Aの威力が、あの素晴らしいプログラムが、ジャッジの目を覚まさせて、GOEとPCSに満点をつけまくる…


そういう夢想もできました。


でも、世の中はもう、そういう「特別なヒーローが悪事を一掃する」時代ではなくなっているんです。


人々は地道に、その歪みを正して不正を取り除いて少しでもより良い未来になるよう、変えていかないといけないんです。


羽生くんがパーフェクトなプログラムで、ナショナルバイアスもロビー活動も粉砕してくれたら、その爽快さに世界は喝采したでしょう。


でもそれでは、この競技の未来に何が残るのか?


「羽生結弦ほどの選手がパーフェクトにしないと、そういうものに打ち勝てない」


という、それ以下の選手にとっては暗澹たるものです。


そして現在(も、過去も、そしてたぶん未来も)羽生結弦ほどの選手はいません。


不正に立ち向かうにはそれだけの力量が必要だとしたら、これほどの無理難題はないでしょう。


でも、そうはならなかった。


羽生くんのプログラムの素晴らしさが広まっていくほどに、フィギュアスケートの採点の傾向がどういうものなのか、スケート界以外のところに理解されていくでしょう。


…………


良い方向に変わるのは難しいし、時間がかかります。


選手生命の短い競技ならなおのこと、早く何とかしたいと思うこともあります。


でも、組織ぐるみ、権力側の不正を正していくのには、そんな早く一刀両断して終われることも、正義のスーパーヒーローの登場で劇的に変わるものでもないのでしょう。


それよりは、羽生結弦のスケートという媒体が、スケート界のドロドロに光を当てるだろうということ。


それが変革につながるようになるかもしれないと感じたのです。


…………


羽生くんがスケート界に対して責任なんて負わなくてもいいとは思うけど、それでいてつい、羽生結弦のスケート以外に世界からの注目を集めるものはない、そうやって多くの目に晒されるほどに矛盾は露呈しやすいと感じるんです。


GOEやPCSの逸脱の範囲は、採点競技としてはあり得ないレベルです。


基礎点の設定などから考えても、1点でも多く欲しいというところを、1点くらいは簡単に誤差の範囲に収まってしまうんですから。


そういう矛盾が世に広く知れ渡って欲しい。


羽生くんのプログラムにはそれだけの魅力があるのだから。


…………


羽生くんが尊敬されるのは、自分が負わなければならないものよりも遥かに重い責任を負っているからというのもあると思います。


本当はこういう方にこそ、政治や組織のトップになって欲しいくらいです。


責任持って、組織を運営できる方に。


読んでくださって、ありがとうございました。