何一つ妥協しない。
美しさは新次元へ…
あ、間違えた。いや、間違ってないか。
少なくとも羽生くんのスケートは、何一つ妥協しなかったからこその、次元の違う美しさがあるのだから。
…………
子どもの頃に思い描いていた理想というものは、成長するにつれて現実を思い知らされて、妥協したり挫折したりするものですよね。
たぶんフィギュアスケートを始めた頃の選手たちは皆、高難度の技術を美しく実施して音楽の表現にも長けているスケーターになることを目指していたはずです。
それがだんだん、自分の能力では片方はできてももう片方は難しいとか。
どちらもある程度のレベルにはなれるけど、トップにはいけないとか。
どうしてもこれは直せないというエレメンツがあるとか。
それで仕方なく?現実と折り合って、自分の最大の長所を活かしつつ欠点が目立たないようにしていくのでしょう。
ただ、それでもそうやって続けていけるだけの能力はあったということで、そこに行き着くまでに脱落した選手たちはもっとずっと多かったはずですよね。
…………
羽生くんは妥協しなかった。
脱落もしなかった。
そして今、フィギュアスケートの魅力を世界中に知らせている、競技のアイコンになっている。
…………
高難度ジャンプを難しい入り方から、高さと飛距離が充分ある跳び方をして、音楽を表現しながら美しく着氷する。
それだけでも、できる選手は羽生くん以外にいないと思います。
まして、スピン、ステップ、表現力、どれ一つとっても、世界で適う者なしと言いたいくらいですね。
権力の後ろ盾を持たない選手が、強さと美しさを兼ね備えていて、何一つ妥協せずに理想を追い求めていく…
これほどに、世界中の多くの方たちが応援したくなる選手がいるでしょうか。
…………
コロナ禍にあって、コメのナショナルはする必要があるのか疑問に思っていたら。
要は壮行会だったんですね?
我が国の選手たちは凄いだろう〜
と、オリンピックに送り出すのが主目的だったということで。
まあ、ド派手だったというべきか、やるならもうちょっとド派手でも良かったかもというべきか。
いやー、シリアスエラーも発動しないくらいなら、全選手たちにGOEもPCSも満点つけときゃ良かったんじゃない?
そうしたら世界中で、コメはナショナルの試合形式壮行会やっているんやなぁ〜て、それなりにわかったと思うでー
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よく、採点やジャッジが問題なのであって、選手たちのせいじゃないという話もあったりしますけど。
実力、実施よりも高い点数をもらうのはその選手の責任ではなくても、その点数に見合う実力をつけようという努力はできるはずですよね。
それをしているのかどうか。
その、高い点数に甘んじて、のうのうとしているのか。
その、高い点数に見合う実施を次こそはできるようにと励むのか。
そこを見られているという自覚はあるんでしょうか、ねえ…
高くつけてもらうのがいつものことになって、それを実力と勘違いしてる選手たちも多いかも。(^_^;)
そしてコメが我が国の選手たち凄いだろうとやっているのを「凄いですねー」と言ってもらえるのは、コメに経済力と権力があるからです。
まあ、社内のパーティで社長が我が子自慢しているときには、社員はへーへーとお追従するのが普通なので。
親バカだよな社長はという真っ当な意見は、当人に向かっては言わないでしょう。
親バカも ここまで来ると ただの馬鹿
(それで川柳のつもりかーい)
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何一つ妥協せずに理想に向かって邁進する選手が好きです。
その生き方、努力の結晶が、美しいんです。
内面から輝くように…
美しさは新次元へ。
KOSEさん、素敵なキャッチコピーをありがとうございました。勝手にお借りしました。
(クリアウェルネスは使い心地いいのよ〜❣️)
読んでくださってありがとうございました。