羽生くんのファンになって、自分の考え方や価値観が変わったなと思うことはいくつかありますけど、その中でもこの「ファンの方たちと知り合って感じたこと」は、大切にしていきたいなと思います。
それは…
『人は一人では無力かもしれないけど、大勢で何かを成し遂げようとしたら大きな力になる』
ということです。
東日本大震災のあと、これほどの被害に遭われた方たちに、自分のような無力な者に何ができるのだろうと思ってました。
でも、羽生くんのファンになって、羽生くんのファンの方たちとつながることができて、「忘れてないよ、憶えているよ、力になれたら嬉しいよ、そちらの素敵なところをもっと知りたいよ」と伝えていけるかもしれないと。
募金でも、東北の物産品購入でも、多くの方たちの1人としてなら自分にもできることがあると。
そう思えるようになりました。
それは東北だけではなくて、九州や北海道の地震のあとでも感じました。
羽生くんが24時間TVで見せてくれたスケートは、その場限りのものでありながらその場限りのものではなかったんです。
それはずっと残照を放っているんです。
クマモンと滑ってたなーと思いながら、九州産のものを手に取ったりとか。
ハスカップのスムージーを美味しそうに飲んでたなーと思いながら、北海道産のものを買ったりとか。
そういう、ちょっとずつの積み重ねを他の羽生くんのファンの方たちもしているのかもしれないと思うと、「数の力」を感じるのは心強いものですね。
…………
ところでこの頃、メディアが(また)迷走しているように見えるんですけど。
以前は、「ここは羽生くんに好意的なところ」と「ここはアンチ的なところ」というのが、だいたいその出版社や新聞などでわかったんです。
でも、最近はちょっと違ってきてませんか?
羽生くん寄りだと思っていたのに、なんかちょっと違う記事が出てきたりとか。
逆に、アンチだと思っていたところが良い記事を書いていたりとか。
東スポなんて、採点に斬り込むようなあっぱれな記事を書いていたから喜んでいたら、ちょっとどないやねん?というものも出てきたりして。
まあ、「この記事何やねん💢ほんまにそう思って書いてるんやったら、よっぽど見る目がないんやな」というような記事が出るのは、オリンピックシーズンの風物詩の一つかもしれませんが。
(そんな風物詩はいらんわー)
それでいて、「え?ここがこんな良い記事出すの???」というのもあったりしますし。
多少混乱しています〜
もっとも、昨今の状況を考えると、新聞も雑誌もTVも経営が苦しいのだろうなということはわかりますので。
羽生くん寄りの記事は、「こちらの人数の多さに助けて欲しいとき」なんでしょう。
アンチっぽい記事のときは、そういうあちら側の勢力に頼まれたのか、もしくは…
羽生くんが北京オリンピック後に引退したとしたら、いつまでそのファンの人数をあてにできるかわからないと思われてるのかもしれませんね。
そしてまた、私は迷うわけです。
そういう迷走しているところを一刀両断して、一度でもアンチ的な記事を書いたら❌にすべきか。
普段信用できないと思っていたところでも、良い記事だったら⭕️にするべきか。
どうしましょうね?
まあ、迷走できるのも今のうちという気もしますが。
そのうち、かなりのメディアが淘汰されてしまうかもしれないし。
信用は大事ですね。
電○関連ばっか残ったりしたら嫌やなー
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羽生くんのファンは人数が桁外れに多いので、このまま、その人数の多さを良い方向に使うことができればいいなと思っています。
読んでくださってありがとうございました。