おかえりモネを見ていて、ちょっと感じたことがあります。
モネちゃんのトラウマというか、心の深いところにくいこんだ傷は、3.11のときだけじゃないのでは?
人は自分が思ったように言葉にするし、それをその思いのままに受け取ってもらえると思い込みがちですけど。
受け取った側が違うことを考えてしまうなんて、よくあることだと思うんです。
特にモネちゃんの場合、幼少期から何度も、自分が台風の日に生まれたというエピソードを聞かされてきたというのは、どうだったんでしょうね。
それでなくても普通なら、思春期には自分の幼かった頃のことを話のネタにされるのは嫌がるものなのでは?
まして、年を取れば何度も同じことを言うけど、若いうちは「またか」になります。
しかもその内容が…
あれ、ちょっと考えてみたら、わかりますよね。
モネちゃんにとっては、自分が生まれるときに「友人の父親が嵐の中船を出してくれた」ということは、「一歩間違えれば友人から父親を奪っていたかもしれない」んですよね。
しかも、たぶんりょーちんはそのとき、まだ母親の胎内です。モネちゃんより数ヶ月あとに生まれてるんですから。
りょーちんが、生まれる前に父親に死なれるという目に遭わなくて良かった。
でも、そのりょーちんの父親の命を危険に晒したのは、自分がそんなときに生まれたからだ。
誰も言わなくても、モネちゃんがそう深層心理に刻んでいてもおかしくないと思ったんですよね。
故郷に帰りたいなんて、普通に、家族や友人たちに会いたいからでいいんじゃないんですか?
それを、自分が役に立つかどうか、そこまで考えてしまう理由は何?
「そうまでして生まれてきた自分」の生きる意味を問いかけながら成長してきた、それが抜けないのではないでしょうか。
重いとりこさんに言われてましたけど、物心ついたときからこんなに背負わされていたら、そりゃ重くもなります。
また、それを踏まえてのモネちゃんとりょーちんの奇妙な関係性、要は、モネちゃんにとってはどこかりょーちんに負い目があるから、「どんな話でも聞く」という態度に繋がったのでは?
そして、母親が健在だったときにはともかく、震災後のりょーちんにとっては、弱音や愚痴も含めて話せる相手がモネちゃんしかいなかったのだとしたら。
ずいぶん一方的な関係だと思うんですよね。
モネちゃんにとっては、そんなふうに話せる相手ではないのに。
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あと、とても気になっているのが、「誰かの役に立つ」ことを望むのが、何故そんなに綺麗事と思われるのか?ということなんです。
生計を立てていくには、それって必要なことでしょ?
人間が生きていくには、「自給自足する」か「他者の役に立つことで収入を得る」か「不正な手段で収入を得る」か…
他者の役に立つようになれば必要とされて、いわば、食いっぱぐれないんですよね。
だから役に立つようになりたいというのは、生存本能のようなものだと思うんです。
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あと、みーちゃん、恋愛や結婚に限らないけど、お互いが幸せになる関係性が築けないなら、その相手とはつきあわないほうがいいと思うんですよね。
りょーちんとは、会えるだけで幸せだというなら別に構わないんだけど。
そうじゃないなら、初恋を引きずっているだけだからやめときなさいと言いたくなりますね。
モネちゃんと菅波先生が遠距離恋愛でも続いているのは、会える回数や時間が少なくても、電話で話すだけでも幸せだからというのもあるんじゃないでしょうか。
そういう、その相手とのご縁に感謝できるような関係をベストカップルというのかもしれませんね。
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あと、めっちゃ気になっているのが、あかりちゃんの年齢…
2011年3月に1年生だったのなら、2019年3月に中学は卒業しているはず。
私の計算が間違っているのかなぁ〜
まあ、あかりちゃんはドラマ終盤に出てきた役だからまだいいけど、過去の朝ドラではヒロインの成人式が1年ずれていたので…
京ふたりのヒロイン(羽生善治さんの奥さんだった気がする)は短大卒なのに、成人式の準備していたんですよね。
三十三間堂の通し矢まで出てくるのに、何だか、お〜い…
大学なら2年のとき、高校卒業後2年目に成人式です〜
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ああ、あれこれ考えて、すっかり長くなってしまいました。
朝ドラを見てない読者様にとっては、何のこっちゃ?のブログですね。
(^_^;)
読んでくださってありがとうございました。