栄枯盛衰は世のならいとか。
情報を集める、扱う仕事はどうなのか?
諸外国から見た日本のイメージの中にたびたび出てくる忍者は、情報収集が仕事ですよね。
江戸時代には、同心に雇われた岡っ引きなどがいました。
庶民が知るほうの手段としては、瓦版や読売、あとは井戸端会議的な噂話だったのでしょう。
その後、新聞→TVと、情報を得る手段として変遷していったのかな?と、思っています。
それが今、ネットにかなり押されている感じなのでしょうか?
何故、そのようになったのでしょうね。
思えばTVでドラマが観られるようになってから、映画は一時期斜陽産業だったことがあるはずです。
けれどそこから盛り返してきました。
映画はTVに比べてかなり不利だったと思うんですよね。
TVは(NHK受信料と電気代はいるけど)無料で見られます。
映画はお金を払わないと見られません。
「それだけのお金を払う価値があるもの」でなければならなかったんでしょうね。
それで淘汰されて良いものを作る方たちが残ったのかな?などと、考えました。
ニュースにしても同様です。
TVは即時性があり、無料だけど。
新聞は購入しないといけないし、どうしてもタイムラグがあります。
そんな中でどうやって残ったのでしょうね。
私自身の経験から言うなら、TVのニュースはいつ自分が欲しい情報を出してくれるかわからないけど、新聞は見出しでどこを読めばいいのかわかります。
そういう、「TVよりも良いところ」をもって、残ってきたのかな?と。
…………
それで、現在はどうなんでしょう。
TVよりもネットという風潮があるなら、TVはどうやって残っていくつもりなんでしょうか。
また、TVに押されても残ったはずの新聞も、ネットにはかなり押されているように感じるんですが。
そして新聞が斜陽産業になりそうなのは、コロナ禍だけが理由ではないように思います。
今、コロナ禍のせいで傾いてきている業界は複数ありますが、自分たちが「残って欲しい」と思うところは応援したくなるものです。
飲食店、宿泊施設、交通機関などは、「どうか耐えて欲しい」と思う方たちも多いのでは?
では新聞は?また、雑誌などは?残って欲しいと思うものは愛読しているものに限られるのではないでしょうか。
…………
はい、ここで羽生くんの話です〜
TV、新聞、雑誌などの中で、羽生くんのファンとして「あそこには腹が立った」と思うところが、いくつ思い当たりますか?
その中には、「メディアは正確な報道をするもの」という一般人の思い込みをよいことに、事実ではないことを報道したところもあったのでは?
そうです、私が言いたかったのは、「これまでの信用の上にあぐらをかいて、このくらい構わないだろうとたかを括って、自分たちの都合の良いように印象操作しようとした」ことのツケは大きかったのではないか?ということです。
羽生くんの戦歴を低く、別の選手の戦歴を高く「間違えたり」とか。
羽生くんの周囲をかぎ回って盗撮したりとか。
羽生くんが「○○だろう」という憶測を事実のように報道したりとか。
正体不明の「関係者」的な、それ誰が言うたんや?という噂話が出てきたりとか。
いやー、ようけあったわー
そらもう、これだけ好き勝手に「メディアは自分たちが持って欲しい感想に行き着くように報道する」ことがあるて、わかってしもたら。
そんなん、信憑性がないメディアにいつまでもつきおうてられへんわー
…………
ということで、TVと新聞、雑誌が斜陽産業になりつつあるのは、体質的に傲慢になって、印象操作が通用すると思い込んでいることに対する、強烈な拒否反応‼️もあるのではないかな?と、思いました。
…………
お口直しに素敵な羽生くんをどうぞ。
きゃー❣️
いつ見ても、カッコええわ〜💖
読んでくださってありがとうございました。