このところ、8月の日本とは思えない気候になっています。
熱中症対策と言っていたときを懐かしく思うほど、降雨量が多い。
皆様、ご無事でありますように。
(ご無事ですか?と、尋ねるのが難しいんです。今無事でも次の瞬間にどうなるかわからないくらい、洪水だの土砂崩れだの堤防決壊だの…なので、ご無事でありますように)
今朝はちょっと地震かな?と思うような揺れをかすかに感じたのですが、誰も何も言わないので気のせいだったのだと思ってました。
そしたら、本当に地震があったようです。
そして何故か?息子はその地震で目が覚めたのだとか。
…そんなに揺れた?
う〜ん…
2階のほうが、揺れを強く感じるからでしょうか。
…………
東京オリンピックが終わって、モヤモヤが少しは晴れるかと思ったのですが。
やはり言いたいことはまだ溜まっているようです。
多様性どうのこうのも結構だけど、復興はどこに?というあたりで。
私個人の考えでは、復興五輪ということは「あれほど甚大な被害を受けたけど、諸外国からの支援でここまで復興できました」という、感謝を伝えるとともに「このコロナ禍も助け合って乗り越えていきましょう」という、連帯の呼びかけにもできたはずなのにと思ったんですよね。
そうならなかったのは残念です。
また、コメのTV局の意向で開催期間や競技の開始時刻が決まったところもあったとかで、アスリートの方たちには大変な思いをさせたのではないでしょうか。
それに何というか…
オリンピックなのに、普通に試合を放送するだけでは不十分だとでも(TV局側が)思ったのでしょうか。
やたらと煽り、持ち上げ、「スターを作りたい」「感動的なものにしたい」「自国の力を誇示したい」というようなものをコメのTV局から感じたのですが、気のせいでしょうか。
スポーツはそんなことをしなくても、淡々と放送すれば良かったのでは?
何が起きるかわからないのがスポーツの面白さなのに、「さあ、○○選手が金メダルをとるところを見よう」みたいな感じになったら、それは…
スポーツの魅力を放送する側が減らしていることになりませんか?
気の毒に、そういう自国の期待がプレッシャーになった選手たちもいたようですし。
TV局が「多額のお金を払っているんだから、感動するものを放送する権利があって当然」というような態度でいると、本末転倒なのではないかと。
…………
羽生くんの採点を激辛にして、他の(特にコメの)選手に甘々採点するというのも、同様です。
「ほら、我が国の選手が勝つところを見て、感動してファンになってー」なんてスポーツ放送に、どれだけの魅力があるんですか?
Nくんに甘々採点するから、勝つからねー、見てねー
???
そんなもの…
スポーツとしての面白さも、(そして公正さも)エンタメとしての楽しさもなく、芸術でもない。
ファンが増えるわけないでしょ。(^_^;)
あ、Nくんのスケートが芸術じゃないというのは、ご本人のインタビューからそう思ったんです。
同じプログラムだと、曲に飽きるのだとか。
演奏者がどれだけ、同じ曲を繰り返し練習するものか。
飽きるなんて言っていたら、芸術の域にまでは達しないのでは?
…………
羽生くんのスケートは、スポーツとして見ても芸術として見てもエンタメとして見ても、極上のものです。
だからまた見たくなるんです。
平昌オリンピックから3年経ったのに、まだ再生回数が伸びているのだとか?
2000万回突破?
私、録画したものを見るから、そこの数には入ってませんよ?
そういうファンも多々いるはず。
その分も加算したら、どれだけの回数になるか…
ちょっと想像できません。
2000万回か…
1人1207回見たとしても、1万人以上なのね。
???
どういう計算やね〜んっっっ
読んでくださってありがとうございました。