名をつけること、名を呼ぶことを「呪をかける」というのであれば。
言霊を大切にする我が国はもちろんのこと、昔から世界各地で似たようなことが行われてきたのではないでしょうか。
一番わかりやすいのが、支配者階級の「自分たちを庶民が敬服するような呼び方にする」ことと、「敵対する相手に呼ばれるのを嫌がるような名をつける」ということだと思います。
勝因はそれだけではなかったでしょうけど、幕末に自軍を「官軍」と称したことで、敵対勢力の戦意を喪失させたという戦法もあったようですし。
そういう、自分たちの正統性を誇示し、敵対者の勢いを削ぐための「名づけ」は、今でもわりとあるような気がします。
でも、自分たちに良い名称をつけるのは、まあ、自由だと思うんですが。
敵対勢力に蔑称をつけるのは、いかがなものかと。
それは、かつての大国が周辺国を「南蛮」「北狄」などと呼んだことを連想しますし。
そもそも「呼ばれたくない名称」で相手を呼ぶこと自体が、イジメと似たような構図を思い浮かべるので甚だ不快です。
なので、自分(たち)の意見に賛同しない側の人を、そういう「呼ばれたくないであろう名称」で呼ぶ人の言うことは、一歩退いて考えたほうが良さそうですね。
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それというのも、どうも、羽生くんのファンのことをそういうやり方で、人数を減らそうとしてきたことがあるように思ったからです。
そして羽生くんのアンチは、羽生くんのこともそのファンのことも、「どう呼んでいるのか伝えることさえしたくないような」名称で呼んでいたみたいですし。
だから私は、敵対勢力に蔑称をつける人たちの意見はあまり信じないんです。
なので、私自身も気をつけなくてはいけませんね。
某政治家のことを「ソチでタコチューするほど気に入っていた『呑んだくれ寝小便たれ男』に勝った羽生くんをいつまでも冷遇した挙句、オリンピックに穢れを持ち込んだままにして、日本国民とアスリートの健康と安全よりもオリンピックを開催してしまうことを優先した人」などと呼ぶのは、やはりやめておきます。
読んでくださってありがとうございました。