義母の介護をしていると、ときどき、身に余るお言葉をいただいたりします。
また、義母のことをとても幸運だというようなことも。
以前、親戚から言われたことがあるのですが。
義母のことを「自分はお姑さんに冷たかったのに、お嫁さんには良くしてもらっている」というようなことでしたが。
私から見て、義母が義祖母にそんなに冷たかったようには感じてませんでしたし、この人はどこをどう見てそう思ったのだろうと疑問に思ってました。
そしてよく考えてみたら、その親戚は、自分が義父母と同居した経験がないんですね。
自分がしたことない苦労をしてる他者への配慮に欠けているんじゃないかな?と、思いました。
義母は義祖母にかなり苦労させられたようで、それは私が来てからの態度でもよくわかりました。
そして、義祖母が認知症のようになってからも、寝たきりになってからも、義母は(ときどき悪態つくことはあったけど)冷たかったというようには思いませんでした。
淡々と自分のしなければいけないことをしているという感じでした。
でも、自分をさんざん苦労させた相手ですよ?
介護放棄したわけでもなく、介護虐待したわけでもなく、課せられた義務を果たしているだけでもよくやったほうだと思いませんか?
それをたま〜にやってきて「こんな体になってしまっておつらいですね」なんて言いながら、手足をちょっとさすってあげたくらいで親身になって世話したかのように思っている親戚とかに、悪く言われるなんて💢
まあ、そういう親戚のほとんどは、自分が介護した経験もなかったのが実際のところなので、毎日それが日常になってしまったときに何ができるのか、考えてなかったのでしょうね。
また、義母が義祖母にどういう介護をしていたかということと、私にどういう介護をされているかということは、つながるようでいてつながってないんです。
私は、自分が嫁にきて大切にしてもらったから、義母にも幸せでいて欲しいと思うのであって。
義母が、自分のお姑さんにどう関わっていたかは私にとっては関係ないんですよね。
普通に考えたらわかることだと思うんです。
結婚して義父母と義祖母と同居したときに。
義母が、「自分のお姑さんにきっちり仕えて、嫁には厳しい」人なのか、「自分のお姑さんには苦労させられたから義務だけ果たすけど、嫁には同じ苦労をさせたくないと思ってくれる」人なのか。
どちらのほうが、義母を介護することになったとき、親身になれるか。
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だいたい、人間って自分がしたことないことに関して、そのまま受け取ることは難しいのではないでしょうか。
その苦労を過大評価しているか過小評価しているか、そのどちらかであることが多いように感じます。
その意味で言えば、私の介護は過大評価されているのだし、義母が義祖母を介護していたことは過小評価されていたということなのでしょうね。
けれど、実際には逆だと思うんです。
介護保険も使えるし、今のほうが20年以上前よりは楽に介護できるんです。
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先週、義母のワクチン接種2回目に行きました。
車椅子で行ける範囲が狭いと、そういうこともなかなかできないので。
バリアフリーの建物が増えるのはありがたいことですね。
東京オリンピックのあと、パラリンピックがあります。
日本に来てくださるパラリンピアンの方たちが、不自由な思いをせずに過ごせて実力を発揮できますように。
読んでくださってありがとうございました。