フィギュアスケートという競技において。
正攻法での勝利、成功、栄光を得ることは、とても難しいのでしょうね。
でも、それを成し遂げた方が現在、どれだけ多くのファンを獲得しているか。
また、各方面の芸術家やアスリートの方々の、さまざまな分析を含む賞賛も。
私はそれを目の当たりにしているけど、まだ過去から学ばない人たちが、正攻法以外での勝利でもそれらを得られると思い込んでいるようです。
GOEを高くつけてもらう努力や実施なしに、採点でだけ高くつけてもらったとか。
PCSを高くつけてもらう努力や実施なしに、採点でだけ高くつけてもらったとか。
そういう、狡いことをしていては絶対に得られないのが…
「これを一回観てみて」だけで伝わる、そんな「当人が実際にスケートしている映像」のインパクトなんです。
何点だったか、何位だったかなんて吹っ飛ばすくらいの。
オーラがあるというか、カリスマ性というか、存在感というか、印象的というか、「一度観て虜になったら逃れられない」ほどの、問答無用の魅力なんです。
そこはリンクでスケート靴を履いてるのよね???
と、3回くらい足元を確認したくなるくらい、自由自在に踊りながら、それでいて。
スケート以外ではあり得ない滑らかさでとんでもないスピードで移動していく。
緩急自在、動きはキレキレ、音楽を纏い、場を支配し、視線を釘付けにして離さない。
(そしてたまに重力はどこへ?ということに)
それは全て、より美しく、より正確に、より見栄えのするスケートを追求してきた成果が現れているからなんですよね。
ジャッジが高い点数をくれるなら、これでもまあいいかー
などと、自分を高めることに邁進するのをやめて、その状況に妥協してしまったら、絶対に手に入らないものです。
だいたい、分不相応なものをもらうことに慣れた人からは、卑しさが見え隠れします。
最高のアスリートからも、最高の芸術家からも、卑しさというものは微塵も感じとれませんね。
もしも卑しさがどこかに現れているなら、それは、最高のものではないのでしょう。
最高のものになるように毎日努力を続けて、あくまで正攻法で、さらなる高みを目指すことこそが最高であり続けるために必要なのでしょうね。
まさに、1日にしてならず。
…………
あと、それを言っちゃおしまい〜
なんやけど。
羽生くんのスケートの技術も芸術も、最高のもので他の追随を許さないくらいのものなんやけど。
容姿と体型で、見栄えの差がスケートの技術以上に広がってへん?
アジアの美しい顔100人に選ばれるとか。(しかも、整形なしメイクなしで)
KOSEのCMやキャンペーン商品が、アスリートの競技中の顔でしかもそれがめっちゃ綺麗やったりとか。(透明感…それは美しさの原点)
それでいて、中身…心ばえや生き方、魂のありようが、その外見を遥かに上回るくらいにもっと美しいとか。
ああ…
結局羽生くんを絶賛しまくるブログになったわー
読んでくださってありがとうございました。