恣意的採点による弊害は、高すぎても低すぎても現れてきます。
ここで取り上げるのは、高すぎる場合ですが。
最初はとても喜ぶんですよね、選手自身も指導者もファンも。
「わー、すごい〜」
それで、次のときにまた高く評価されたとしたら。
「やったー」
けど、それっていつまで通用するんでしょ。
何度も続くとだんだんと、自分が高く評価されていることに慣れてしまいますよね。
そして、それが当然のことのように思ってしまうと…
①自分をレベルアップしなくなる
②失敗をしないことを最優先にしてしまう
③悪くなったときにどこをどう直せばいいのかわからなくなる
④ファンから白い目で見られる(かもしれない)
⑤スケーターから白い目で見られる(かもしれない)
⑥ジャッジの信用度低下の片棒を担いでいるように見られる
⑦所属するスケート連盟の圧力を感じさせるように見られる
…と、だんだんエスカレートしていくかも。
そうならないようにするには、この最初の①の段階できちんと自分の実力と実施を見直して、「その高く出た点数に値すると多くの人に思ってもらえる」くらいにまでレベルアップしていけばいいのかな?と、と思います。
でも、それって…
難しいことでしょ?
やりたくないだろうと思いますよ、私も。
だけどそのまま進んでいくと、②になってしまうんですよね。
失敗しなければ高得点がもらえるとなれば、失敗しないことを最優先にしてしまっても、仕方ないのかな?とはいうものの。
高難度ジャンプを跳んで失敗しないというのは、まあ、それだけでも高く評価されて然るべきものなのでしょうけど。
そのために、挑戦することや工夫することがなくなっていって、無難にまとめてしまうように見受けられると。
はっきり言って、面白くないんですよね。
いやまあ、スポーツなのだから、面白さを追求してもらわなくてもいいんですが。
羽生くんのように、次に何をやる気なのかわからないとか、前と違う工夫があるなとか、そういう「観ている側がワクワクする」面白さは、スポーツ観戦の醍醐味の一つでもあるんですし。
世界初の4Lo成功とか。
世界初のコンビネーションジャンプに挑戦‼️4T-3Aとか。
世界初のコンビネーションジャンプ4T-1eu-3Fとか。
これ、4Loや4T-1eu-3Fはまだ挑戦する選手たちが他にもいたでしょうけど、4T-3Aなんて基礎点が減らされるジャンプなんて、普通やりませんから。
そういえば、このジャンプシークエンスの基礎点を減らさないとかいう案がISUに出ていたようですけど。
なんか、今さら〜???
という気がするんですよね。
なんていうか、そのぶん難癖つけて、足りている回転を不足とか言うんじゃなかろうかとか。
余計なことばかり考えてしまうんです〜
話を戻します。
失敗せずにまとめたというのは、それだけならある程度評価されても構わないでしょうけど。
失敗のリスクを負いながら挑戦している選手が成功したときの、爆発するような高揚感は得られないでしょうね。
…………
羽生くんは何度か、(というか、その競技人生の間に何度も)自分はもうスケートはできないかもしれないという思いをしたことがあったはずです。
仙台のリンクが閉鎖したときも。
東日本大震災のときも。
足を怪我したときも。
私の勝手な憶測では、平昌オリンピックのときにはその右足は「もう一度同じ怪我をしたら選手生命に関わる」くらいの状態だったと思います。
その状況で、出場して、金メダルを獲得する。
それ自体も凄いことですけど、それ以前に。
選手生命を懸けて、「これが(スケートができる)最後かもしれない」と思って挑む、その覚悟と心意気。
怪我の状況がそこまで深刻だとは気づかなかった私も、魂を揺さぶられる4分半に心が捕らわれたままです。
そしてたぶん、2018年GPSロシア大会のあとも。
さらにいうなら、どの試合もアイスショーも練習も全て、「今日が最後になるかもしれない」と思っていたかもしれませんよね。
そういう情熱を感じると、単に失敗しない高い点数をもらえることに終始するスケートからは、熱が伝わってこないと思うんです。
そして、③のUくんみたいに、悪くなってしまうとどう直せばいいかわからなくなる選手もいるでしょうし。
ひいては、フィギュアスケートの採点自体に疑問が生じることにもつながるでしょう。
それは競技の衰退につながります。
だとしたら、その、恣意的な採点をしている側だけでなく、それで利益を受けている選手たちにも、好意的な目を向けることは難しくなるでしょうね。
選手は悪くないという話も、理屈はそうでも感情的に受け入れるのは無理になってきています。
結局のところ、誰にとっても良い結果にはなってないのに、いつまで続けるんでしょうね。
しかも、ジャッジを匿名にする案まで出ているとか?
世も末〜
読んでくださってありがとうございました。