私の持つ勝手なイメージですが。

歴史豊かな国のほうが、芸術への造詣が深い国民の割合が高いように思いますし。

芸術に高いレベルのものを求める国に住んでいる方たちのほうが、羽生くんに心酔する傾向があるように感じます。

まず、ロシアですが。

プルシェンコさんのニジンスキーに捧ぐが芸術点でオール満点だったのは、ロシア選手権だったのでは?

これは普通に考えたら、自国の選手凄いでしょアピールだと思うかもしれませんが。

ロシア国内の派閥争いは、ないというわけではありませんよね?

そういうものを凌駕するほどのものをプルシェンコさんがやってみせたのみならず、素晴らしいものを素晴らしいと認めて感服するだけの器が、そのときのジャッジにあったのではありませんか?

さて、そうなると。

我が国のジャッジはまだまだということに?

…………

次に、羽生くんのファンが多い国として思い浮かぶのはイタリアですね。

言わずと知れたルネッサンスの国です。

ただ、トリノGPFのときの羽生くんへのイタリアジャッジの採点は、あとでマッシミリアーノさんが日本のファンに謝罪するほど偏向してました。

…………

中国は黄河文明の頃からのアジアの文化の中心地ですね。

歴代王朝は交代しているので、国家の歴史としてはそんなに長くはないでしょうけど。

脈々と受け継がれた文化、芸術というものはさほども途切れることはなかったのかもしれません。

…………

さて、毎回のように羽生くんに辛い採点をする北米ですが。

歴史の長さは日本やヨーロッパよりかなり短いんですよね。

その国独自の文化や芸術は、どのくらいあるのでしょうか。

どうも、フィギュアスケートの男子選手に求める理想が、画一的というか…

そもそも成人男性の理想的なタイプも画一的というか…

男子スケーターの衣装の傾向も画一的というか…

ちょっと言いたいのは。

ワンパターンで
面白くない
んですよね…

あ、ちょっとなのに大きくなってしまったわー

…………

我が国は歴史は古いんですけど。

芸術への造詣というと、どうなんでしょ?

たぶん昔は、美しいものは富として権力者が保有していたでしょうし。

それを庶民が目にする機会はそんなになかったのでは?

また、大衆芸能は娯楽として見られていて、芸術とは少し違う方向にいったかもしれませんし。

あるいは、神事の奉納として催されたものがあったかもしれませんが。

それは奉納なので、人間がその優劣を競ったりするものではなかったのかも。

能楽とか、そういう…………

ん???

そういえば、日本の伝統芸能って、大半が世襲制じゃなかったかしら〜?

何代目○○とかいうような、親から子へ受け継がれていくものが。

家元制度とかも。

どのくらい実力があるかじゃなくて、誰の子かのほうが重要視されるような。

そして、そういう家に生まれてこなかった者は、なかなかトップにいけなかったりとか。

あるいは、誰の門下生かというあたりで、評価が違ったりとか。

あったような気が…………

あら〜

そうすると、日本国内における「芸術」とは、世襲制と師弟関係がモノを言うという状態が、ずっと続いてきたという認識なのかも?

まあ、フィギュアスケートは、能楽や歌舞伎や茶道とかに比べると、そこまで歴史が長くないので。

世襲制などといっても、小塚さんで3代目くらいのもので、それより以前から連綿と続いてきたスケートの家系とかではないでしょうけど。

師弟関係の派閥とかは、ありそうですよね。

羽生くんが日本国内で冷遇されているのも、国外のコーチについている「よそもの」と思っているからだったりして。

血縁関係はともかく、そういう、「誰が一番実績をあげた指導者か」の競争をしているのに、外国で指導されている羽生くんだけが別格の強さ(と、美しさ)だったら、そりゃやりにくいでしょうね。

でも、そういう伝統芸能などでも、時代によって改革されてきたから生き残っているんでしょうし。

何事にも、はじまりの瞬間はあるものですから。

創始者は、初代は、それまであったものではないものを創り出したんですから。

ただ、続いてきたものを受け取って、次代に受け渡していくだけでは廃れていくかも。

続かせるだけの努力と改革が必要なのでしょうね。

そうすると…

フィギュアスケート界の改革に必要なのは、やはり複数カメラとスロー再生を使う技術採点なのかも?

マヨロフさんも、提案してくださっているようですし。

そういう改革の機運が高まればいいなと思います。

読んでくださってありがとうございました。