主人公は誰だ?

という話です。

羽生くんのファンの方たちは24時間TVをご覧になったでしょうけど、さだまさしさんの主人公はお聴きになりましたか?

私は羽生くんの出番以外のところは全部カットしてしまうつもりでしたが。

さだまさしさんのところは残してあります。

「私の人生の中では私が主人公」

いい言葉ですね。

さだまさしさんも、多くの人が「自分を責めすぎ」だとおっしゃってました。

そうなのでしょうけど、一方で、何もかもが自分の思い通りにいかなければ腹を立てるという人もいます。

「自分を主人公と思って、もっと自分を大切にして生きよう」と思う人ばかりならいいのですが。

他者を踏み付けて、あるいは犠牲にして、自分だけが良い思いをしたいと考える人間が、「自分が主人公なのだから、好き勝手に生きて構わない」などと傍若無人に振る舞うのは感心できませんね。

思うに、人を踏み付けてのさばるタイプの人と、その犠牲になって苦しんでいる人がいるなら。

さだまさしさんのこの歌は、後者のためのものなんでしょうね。

……………

ここで、もしもの話です。

「あなたに毎月お金をあげます。いくら欲しいですか?」

と、質問されたらいくらと答えますか?

○1万円
○10万円
○100万円
○1000万円
○1億円

どのくらいの金額を考えたでしょうか。

では、次に、条件です。

その金額に見合う労働をしてください。

時給1000円です。

…さあ、多額のお金を欲しいと思った方、頑張って働いてくださいね〜

1万円のためなら10時間の労働ですみますが。

10万円のためなら100時間です。5時間労働を20日くらいですね。

100万円のためなら、あら、大変。1日24時間休みなくずっと働いても2万4千円、それが30日ずっとでも72万円。足りませんね…

1000万円に見合う労働なんて、どうすればいいのでしょう。

まして、1億円…

おや〜?

最初から条件が提示されていたら、もっとそれに見合う金額を考えたのに?

時給1000円は少ない、自分はもっと稼いでる?

おーほほほ…

何もせずにもらえるお金だと思うから、いくらでも欲しいと考えてしまうんです。

相応の対価としてもらうお金なら、もっと大切に考えるものですよね。

……………

フィギュアスケートの採点、順位、称賛といったものも同様です。

自分が苦労して工夫して努力して積み上げたものを高く評価してもらえば、とても嬉しいでしょう。

自分の苦労も工夫も努力もなしに、ただ点数だけが高くもらえるとしたら。

もっと欲しい、もっともらいたいと考えるでしょう。

実施したものにふさわしい順位より高い評価をされるのが当たり前になってしまったら、もっと高い順位になれたはず、何故その順位にしてくれなかったんだ?と、文句を言うかも。

称賛にふさわしいものを築いてないにも関わらず毎回称賛されていたら、もっと多くの人に称賛されて当然と思って、自分より称賛されている方に嫉妬するかも。

人間、そういうものです…

自分が苦労して頑張って得たものに対しては、その大切さを熟知してます。

苦労せずにもらえたもののありがたみなんて、感じないものです。

さっきのもしもの話、労働の対価ではなくて不労所得だとしたら、いくらもらったとしても、「もっと多く欲しいと言えば良かった」と思うのでは?

……………

自分が主人公だと思うのであれば。

高い評価は自分の努力で得て欲しいものです。

羽生くんがいわゆる「主人公属性」などと言われるゆえんの一つは、「災い転じて福となす」ことが多いからです。

羽生くんへの不当に低い評価も、羽生くんの実力をさらに高めることにつながっています。

それはもう、どう採点されようと、実力が上がっていることは事実です。

そして私はもう、採点は「今度はどのくらい忖度するのかなぁ」という目で見ています。

公正な採点で評価されているなんて、微塵も考えてません。

公正な採点を心がけている良心的なジャッジの方々には申し訳ないけど、良心的でない人たちを排除してくれないと信用できませんので。

……………

主人公は、ライバルに対しても「この人がいてくれたから今の自分がある」と思うものです。

それが主人公としての力、全てを糧にして上り詰める…

羽生くん
の、ような…

そんな、主人公なのです。

あちこちに迷走する話におつきあいいただき、ありがとうございました。