このところ、特に思うのは。

歴史が浅い国では、芸術への理解度が足りないこともあるのかなぁ…

とか。

なんというか…

懸命に、我が国の文化、芸術!と、アピールしているのかもしれないけど。

それほんまにわかっとんの?
と思うことがあるんですよね。

フィギュアスケートでいうと。

男性・女性の違いをはっきりと!
という動きが最も顕著なのが、歴史の長さにおいて他の有力な国よりも短い…
北米かなぁと。

歴史が長い国になると、その流れの中で生み出されたものも、何度も数え上げることができるのではありませんか?

短いと、その分、そういうものの回数とか経験が足りないので…

とにかく何かを芸術としてしまおう的な、自然発生ではないものを感じるんです。

あと、やはり文化芸術というものは、ある程度豊かで平和な地域と時代でないと。
飢饉や疫病でそれどころじゃなかったら、後世に残るほどのものは作り出せないでしょうし。
そんな時期を何回、その歴史の中で得られてきたかの差もあるのかもしれません。

あとは、常識の枠にとらわれていては、それほどの印象的なものはできないのかもしれませんね。

芸術って、変革するときに後世に残るような素晴らしいものができるという、そんなイメージがあるんです。

既成の枠に収まらない、通常の概念にとらわれていないところから、生じるというような。

ルネッサンスとか。

(わー、芸術に対する知識不足が丸わかり)

なので、なんというか…

北米の(特に男子)スケーターの感じでは。

その殻を破って、新しいものを打ちだそうという気概のある選手は、いないでしょうね。

それではますます、羽生くん一人に人気と注目が集まることになるのは、仕方ないことなのでは?

今日、まささんのブログをリブログしたのですけど。

羽生くんがいると、会場の熱気が違うというか、それに呼応してスケーターのポテンシャルが最大限に引き出されることがあるのだろうなと感じました。

それはスポーツとしてのフィギュアスケートで、羽生くんが第一人者として成し遂げたことの一つだと思います。

そして、芸術も呼応するものだと思うんです。
羽生くんに触発されたミュージシャンの方たち、羽生くんへのトリビュートで新たな芸術を創造する方たち…

芸術って、そんなふうに影響しあって、広がって深まっていくものなのではありませんか?

そして、タラソワさんの言葉も嬉しかったですよね。

ロシアが誇るバレエという舞台芸術に比肩するものとして、羽生くんのスケートを讃えてくださるなんて。

ロシアにも、数多くの名スケーターがいて、それぞれの時代において君臨していたはずです。

なのに羽生くんをフィギュアスケート界の「天上の人」だと、バレエの名場面を引き合いにしてくださってます。

ただ、バレエと違うのは、フィギュアスケートは競技だということです。

バレエにも、コンクールとかありますよね。
でも、それは一つの舞台芸術としてのバレエ、完成された物語としてのバレエよりも、高く評価されるものなのでしょうか?

バレエに詳しい方々に、尋ねてみたいものですね。

私が勝手に持っているイメージとしては、バレエのコンクールはあくまで、新鋭の踊り手を見出すもの、次のプリマドンナを選ぶもののように見えます。

つまり、入団やキャスティングのためのものというような。

最終的には、素晴らしい舞台芸術を作り上げることを目標としていて、コンクールの好成績はそこに至るまでの通過点に過ぎないという感じで。

(もしも私の盛大な勘違いがあるのなら、指摘してくださいね)

タラソワさんの言葉に出てきたバレエのシーンがどういうシチュエーションだったのか、知らないままでいうのもどうかなと思うんですけど。

一つの舞台芸術を作り上げようと、携わっている全ての人たちが一致団結して完成を目指していたであろうバレエと違うのは。

勝敗、優劣、順位が決められてしまう競技としてのフィギュアスケートでは、その選手の成功を望む人ばかりではないというところなのでは?

バレエなら、プリマドンナが失敗すれば、芸術としての価値が損なわれるでしょう。
いくらライバルでも、ともに同じ舞台に立てば、その失敗を望むことはあり得ないと思います。

一方で、EXやアイスショーならまだしも、フィギュアスケートの試合では。
ライバルの失敗を望む人も……………

それが当のライバル選手自身でなくても、指導者、関係者、スケート連盟など。
様々な勢力が、水面下で「あの選手がパーフェクトな演技をしたら、こちらは負けてしまうかもしれない」と思ったら、その「あの選手」の失敗を望むでしょう。

そういう、足を引っ張ろうとする勢力の妨害などがあるかどうかは別として。

そこにいる全ての人たちが自分の成功を望んでいるわけではないところで。

結果を残さなければならないのですから。

まして、フィギュアスケートはこれまで、スポーツか芸術かという綱引きがされてきましたよね。

高難度ジャンプに挑戦する選手と、それよりは難度で劣るけど完成度が高いものをできる選手とがいたのでは?

その中で、高難度ジャンプに成功しないと優勝争いに加われない、それでいて芸術的なものをするというのは…

それだけでもとても難しいことなのに。

その、高難度ジャンプに挑戦して成功し、さらに磨き上げられた音楽表現をすることで観客を惹きこんだのですから。

それも4年に1度のオリンピックという大舞台で。

パーフェクトなものを披露して成し遂げたのですから。

そのことへの評価が高くても、当然なのかもしれませんね。

そして羽生くんのスケートは。

1度だけのものではなくて。

何度も観たい素晴らしいプログラムが、いくつも何試合も毎年のように挙がってくるのですし。

それを勝敗のかかる試合で、というあたりがもう、なんというか…

そして何より、羽生くんのスケートは多くの方々を幸せにするんですよね。

これこそが芸術の力。

その影響力はとどまるところを知らない…

後世において、どのように思われるのか。

この、稀代の芸術を。

自分たちの利益のために低く評価しようとする勢力ではなくて。

絶賛して陶酔するうちの一人であって、良かったと思います。

読んでくださってありがとうございました。