羽生くんのファンの方たちは、今日同じYouTubeを観ていたのでしょうか?
2015年GPF、男子シングルSP。
私なんて、これまで羽生くんのばかり何百回も観たので、他のスケーターさんたちがこのシーズンにどのプログラムを滑っていたのか、なかなか思い出せませんでした。
そうだわ、思い出したわ、あのシーズンにボーヤンくんのタンゴアモーレを見て、つい…
「ボーヤンくんに先越されたやんかー、プルシェンコさんの曲をやりたいと思ってへんの?羽生くんは〜」
という感想を抱いて、そのまま、羽生くんがいずれプルシェンコさんリスペクトのプログラムをするなら、タンゴアモーレになるイメージをもってしまったんですね。
それで、平昌オリンピックで二連覇した翌シーズンの羽生くんのフリーが、「ニジンスキーに捧ぐ」→Originになったときに、つい…
「こっちやったん?タンゴアモーレちゃうん〜?」
と、叫んでしまいまして。
いやー、私がタンゴアモーレにこだわった理由が、このシーズンのボーヤンくんだと思い出しましたわー
……………
バラード第1番は、美しいプログラムですよね。
なんていうか、難しいことをしているはずなのに、「頑張ってやりました」感がなくて。
あまりに綺麗なもので、その優雅さに見惚れてしまって。
私がジャッジなら、採点することを忘れてしまいそうです。
(全部見終わった後で、GOE+3、PCS10.0を全項目につけたらすみますね。それで問題なし)
羽生くんの凄いところは。
採点で高く評価されても、低く評価されても、さらに自分を向上させていく「心の強さ」なのではないでしょうか。
普通は、どちらかでダメになってしまうんですよね。
高く評価されて慢心して、努力を怠るか。
低く評価されて傷心のあまり、次の試合で実力を発揮できなくなるか。
怖いと思うんです。
高く評価されてそれが当たり前になると、もう、「これで充分」だと思い込みたくなるものです。
低く評価されて落ち込むと、次に、「また頑張ってもこのくらいしか点数が出ないかもしれない」とか考えてしまうでしょうし。
羽生くんを見ていると。
「やればできる」に、逃げない靭さを感じるんですね。
「やればできる」ということは、負けたときに、言い訳になってしまうところがあるんですよね。
「やればできるのに、今回はそこまでやれなかったから負けたのだ。次にできれば勝てるだろう」
と、思いながら現役生活を終えてしまう選手は、わりといると思うんです。
常に全力、ベストを尽くして、それでも勝てなかったら?
それは他選手の実力が自分を上回っているということを認めなくてはいけない状態なんです。
そんな怖いこと、確かめるのは嫌でしょ?
普通は…
逃げをうちたくなるものです。
全力で立ち向かわずに、「やればできる」自分である部分をどこかに残しておこうとするものなんです。
そして試合後に、あれこれ言ってしまうわけですね。
あのジャンプを失敗しなければ。
靴が合っていたら。
怪我をしていなければ。
時差ボケしていなければ。
前の選手への投げ込みに気をとられなければ。
etc.
でも、羽生くんはそういうことは言いませんでしたよね。
私たちファンが言ったことはありましたけど。
それでですね。
2015年GPFの330.43のときに。
もしも羽生くんが慢心して、「自分は凄いんだぞー」で努力を怠るようなことがあったら。
それで一気に叩き落として、「あそこまでが彼の限界だった」という評価にして、次のスターを…
という流れにしたかったのかな?とか。
(まさか、次のシーズンに、クワドの種類と本数増加してくるとは予測してなかっただろうなぁ)
逆に2019年GPFでは。
ネイサンくんに高得点を与えることで、羽生くんの評価を低いものにして。
意志喪失させたかったのかな?とか。
もう、どれだけやっても勝てないと思ったら。
全力ではやらずに、「あのとき失敗しなければ」と思う余地を残しておきたくなるものです。
でも、あれ…
あの試合の採点は。
どう見ても????????????
……………でしたよね。
無理くり、羽生くんに、「もうネイサン選手には勝てない」を押しつけようとする意志が見え見えで。
羽生くんにとっては。
採点でそれを押しつけられても。
まだ、実力で乗り越えられるという勝算があったのでしょうか。
でも、実際のところ。
もう、採点で羽生くんの評価を覆すのは、不可能なのではないかと思うんです。
高く評価されても慢心することなく。
低く評価されてもなお立ち向かう気概をもっていて。
さらにもっともっとと自分のスケートを向上させていく羽生くんを。
低く評価すればするほど、その無理くり感が暴露されて。
スケート界以外から









何あれ?
的な視線を送られることに。
まあ、もうそろそろ、羽生くんをその採点でスポイルできるかもなどという、無益な企みに終止符をうっていただきたく。
羽生くんが高めてきたそのスケートの魅力は。
偏向採点で損なわれることはないということを。
学んで欲しいものです。
2015年GPFのように。
2017年世界選手権のように。
羽生くんが高めてきたスケートを思う存分堪能できる試合は。
何年後に観たって、楽しめるんですから。
人類の財産ですよ?
大切にしなければ。
競技が生き残れなくなるかもしれませんよー
読んでくださってありがとうございました。