なんだか…
時代遅れのやり方にいつまでも固執している、老害が…
あちこちでまだのさばっているように…
見えるのは、気のせいでしょうか。
過去の成功体験は、過去のものです。
それと同じことをしても、現在や未来にも成功するとは限らないし。
状況も関わっている人も違っているのに。
何故、まだ通用すると思うのでしょう。
今回のコロナウィルスのことで。
不要不急の外出を避けるようになりましたけど。
それぞれのお仕事などで、現地に行かないとできない仕事以外の。
人の移動をなるべくやめようとすることで。
これまでいかに、不要に人を移動させ、集めさせ、一箇所に固まって仕事していたのか。
どれだけの部分が必要不可欠なところだったのか。
多くの人が考え直す機会になったのではないでしょうか。
なのにまだ、この期に及んで。
どこかに集まって会議したがるとか。
食事会や飲み会で親睦しようとか。
あまりにも、過去の「このやり方で良くなった」というものにこだわってませんか?
不要なものを切り捨てると、老害も一緒に切り捨てたくなるものですね。
過去の成功体験に固執して、新しいやり方に馴染めないでいると。
時代から取り残されることになりますよー
特に。
フィギュアスケート界と、それを取り巻く状況は。
コロナ禍以前でも世の中から何歩も遅れていたのに。
それに気づかず、さらに迷走してましたし。
今でも勘違い人間たちが幅をきかせているようなので。
世も末です…
ネットで検索すれば映像も見られるし、プロトコルも出てきます。
ISUの採点方法も、GOEの項目とか書いてあるようですし。
TVで放送されたものしか見られず、出された採点結果を知るだけだった時代とは違って。
ファン(に、限らないけど)はそれぞれに。
スロー映像解析したり。
回転不足かどうか検証したり。
クロスの数を数えたり。
エッジワークを解説する人もいたり。
スピンのレベルを考察する人までいたりします。
ジャッジの採点を鵜呑みにして、その結果を(文句を言いながらも)受け入れていた頃とは違うんです。
いや、試合結果としては、受け入れざるを得ませんよ?
でも、その試合結果がそのまま、選手たちの実力だったかどうかは話が別とばかりに。
アスリートとして、誰が優秀だと思ったか。
アーティストとして、誰に魂を揺さぶられたか。
それはファンそれぞれが判断するようになっていると思います。
TV全盛期の頃のように。
ジャッジが高く採点して、メディアがこぞって賞賛したスケーターが。
そのまま人気を獲得できる時代ではなくなったんです。
泡ー怒(アワード)をやりたがっている人の。
何故某大国の世界王者が人気が出ないのかわからないというような発言。
いや、わかる人にはとっくにわかってますけど?
と、言いたくなりますね。
高く採点して、TVが賞賛しても。
自分の目で見たものとの乖離が大きいほど。
胡散臭く見えますもの。
ぼったくり金額設定の絵を売りつけられそうな…
アヤシイ宗教団体のお札を高額で買わされそうになっているみたいな…
そんなイメージになってしまったあとで。
挽回しようとあくせくすればするほど。
詐欺師が甘言を弄しているように感じるので。
もし、どうしても某大国のスケーターをスターにしたいのであれば。
何も策を弄さずに、正々堂々まともな勝負をさせるほうが、よほど効果があると思いますけどね。
そして某大国のアーティストの方々…
と、少しはものが見えているメディアが。
自国の世界王者ではなくて、羽生くんを賞賛しているのも。
時代遅れのやり方でスターを作ろうとして、スポーツと芸術を貶めていることの片棒を担ぐのは嫌だという。
メッセージなのでは?
実際、私なんてこのところ。
(悪口言います)
あの国の美術館なんて、自国の芸術を売りつけるために高く評価したものばかり展示しているんとちゃう?
などと思ってましたし。
そりゃ、その国の芸術家としては。
スケート界とTVのせいで自分たちまで胡散臭く思われたり、芸術をわからない輩の同類に見られたりするのは、嫌でしょうよ。
羽生くんのスケートからバレエを創作したり。
その国でも、芸術をわかる人はわかるのだと。
証明できて、良かったですね〜
ほんまに…
ぼったくり採点してとった成績で、人気を獲得できる時代なんて。
とーーーーーーーーっっっくの昔に。
終わってるねん〜〜〜〜〜
そんなにその国が好きなんやったら。
琵琶湖の水のかわりに、ミシシッピ川の水にでも浸かっとったらええねん〜
読んでくださってありがとうございました。