壮大な妄想かもしれませんが。
羽生くんの持っている才能とかポテンシャルを考えると。
天は二物を与えずという言葉が当てはまらないどころか。
与えられたものが多くて二物を遥かに超えているから、ある意味当てはまっているような気もします。
才気煥発、清廉潔白、その上容姿端麗ときては、ねえ……………
妬まれてますなー
でも、羽生くんのように、その与えられたものを「より多くの人を幸せにする」ために使うなら。
何十物でも与えられていいと思うんです。
それに、もともと持って生まれた資質以上に。
羽生くん自身が努力して得たもののほうが多いでしょうし。
このところCWW特別編(以前CSで放送されたもの)の録画を見ているんですけど。
改めて、その才能の豊かさと幅広さに驚きます。
そしてその根底にあるのは。
知識欲なのかなと思いました。
羽生くんは他者への感謝を忘れませんよね。
感謝も、尊敬も、とてもストレートに表してますけど。
人間、よく知らない人に対しては、そんなに深い感謝や尊敬はしないのではありませんか?
ものに対してもそうです。
それがそこにあるということ。
それは、地球に存在していて、それを誰かがその状態にして、その場に運んできて…という過程を何も知らないと。
感謝するという想いにまでは至らないのでは?
羽生くんがプロデュースしたCWWは。
羽生くんのスケートへの想い、出演してくださったスケーターさんたちへの想い、ファンへの想いだけでなくて。
それまで関わった全ての人たちへの感謝が詰まっているように感じました。
指導者や振り付け師といった、直接関わった相手はもちろんのこと。
音楽家、衣装デザイナー、スケート靴の製作者。
リンク製作整備、場内の音響設備、照明器具の操作、客席の設置、さらには会場の設計や建築、その資材…
広げて考えていけば、自分に関わる人はとてもたくさんいるということになりますよね。
衣食住も地球の恵みと多くの人の手によって、自分のところに来たものでしょう。
そういうことを知って感謝する人間は、そこに思いを馳せる力を持っているんです。
自分に注がれた他者からの力を感じれば、それは新たに応援のエネルギーとして得られるようになるのではありませんか?
例として、音楽をあげるなら。
そのシーズンのプログラムをバラード1に決めたとして。
他のスケーターさんたちなら、どのあたりにまで感謝するのでしょうか。
ピアニストさん。
作曲家のショパンさん。
競技時間内に編集してくれた人。
そのくらいにまでは、思いを巡らせることでしょう。
ピアノの製作者。
調律師。
ピアニストさんの指導者。
ショパンさんが影響を受けたそれまでの音楽家さんたち。
ピアノという楽器の成り立ちとか。
西洋音楽の歴史とか。
学べば学ぶほど。
知れば知るほど。
関わった人の数は増えていきます。
感謝する相手の人数も。
それはそのまま、感謝することで、想いを馳せることで、それだけの人たちの自分への助力として感じられるのではありませんか?
だから思うんです。
羽生くんの持つ力は。
天が与えた賜物であり。
同時に。
羽生くん自身が知ることで。
感謝して、想いを馳せて、その人たちの結晶として渡された「音楽」を大切に感じるからこそ。
得た力なのだろうと。
羽生くんは以前インタビューで、自分はサポートしてくれる人が多いという話をしてましたけど。
自分をサポートしてくれる人をどれだけ知っているかということでもあるのでは?
食のサポートをしてくださった味の素さんの担当者の後ろには。
その企業の他の人たちも、農産物生産者や流通業、これまでの栄養学の研究の歴史などまで、羽生くんからは見えているのかもしれません。
知ることで。
感謝する対象が広がって。
その相手の力をもらったと意識するなら。
膨大な力が降り注ぐことになりますね。
だから思うんです。
知識欲が力になると。
それに誰だって。
遥か遠くにいて、ほとんど関係ないと思っていた、相手は知らないだろうと思っていた、自分のことを知って感謝してくれていたら。
もっと力になりたいと思うのではありませんか?
知識がなければ届かなかったであろう、想いや感謝とともにあるからこその力。
天が与えた賜物とともに。
羽生くんを強くしているものはそういうものなのかも…
という、壮大な妄想におつきあいいただき、ありがとうございました。