「あわよくば」という言葉から、何を連想するでしょうか。

あまり良い意味では使われてないような気がするのですが。

「うまくいったら」という意味の言葉のはずですよね。(私の手元の国語辞典が古いのか?)

でも、そこには何か、他人の失敗を望むような邪な意図があるように思えるのです。

これが野球だと、対戦相手の失敗を望むのは当然のことです。野球は失敗するスポーツで、いかに味方の失敗をカバーするか、それによって相手チームより多くの得点を入れて勝つのですから。

攻撃側だと、投手の投げ損じや守備の乱れが自軍の得点につながります。
守備側だと、打者の打ち損じや走塁ミスが失点を少なくさせます。

でも、それがフィギュアスケートになると、途端に「あわよくば」という勝ち方をする選手に嫌〜な気持ちになるのは何故なんでしょう。

ライバル選手の失敗で勝つことに疑問があるから?

いや、それよりも……………

自分の失敗をジャッジが見逃してくれることを望んでいるように感じるからなのかも。

ジャンプならエッジエラー、回転不足、着氷の乱れなど。
スピンならポジションでの回転数、トラベリングなど。
そういう「本来なら減点されるはずのミス」を見逃してもらえたらラッキーだなぁ…なんて感じを「あわよくば」という言葉から受けるんです。

そういえば、苦手なジャンプはジャッジから見えにくいところでちゃちゃっと…とか言っていたスケーターは、その苦手を直したのでしょうか?

人間、苦手なものはあって当然だと思いますが、それを克服しようと努力している選手と、見逃してもらえたらラッキーと思う選手とでは、先々違ってくると思うんです。

以前にもブログに書きましたが、真央さんや宮原選手の努力には応援したいという気持ちになりましたし、そういう頑張りこそが尊敬されるアスリートの姿なのではないかと。

一方で、あわよくばだと、ジャッジの採点のミス(自分の失敗の見逃し)を望んでいるようで、気分が悪いのです。

そして、スケートをする姿を見ているのはジャッジだけではありません。
観客は色々な方向から選手を見ています。
ジャッジから見えにくくても、観客からは丸見えの失敗だったということもあり得ます。

そういうものの積み重ねは大きいのではないでしょうか。

いつもあの選手のジャンプは両足着氷なのに減点されてないとか。

そんなモヤモヤを見るたびに感じると、見たいという気持ちがなくなっていくのでは?

プロのスケーターとして活躍していけるかどうかは、選手として「あわよくば」ではなくて、実力を高めようとしたかどうかでも決まるものなのかもしれませんね。

読んでくださった方がいらっしゃるなら。

ありがとうこざいました。