「古典文学も、クラシック音楽も、当時の人にしてみれば流行もの。そんなにありがたがるものじゃなかった」
……………はい?
私が高校時代に、国語の先生がそのようなことをおっしゃってました。
まあ、どのくらい事実に即した言葉であるかはともかく、肩に力を入れて眉をひそめて論ずるものではなかったということでしょう。
私たちが現在流行している小説や音楽について、「主人公はこれからどうなるのか」とワクワクしたり、「この歌を歌うときにはカラオケのキーを考えないと音を出せない」と思ったり。
そういうふうに、昔の人々も「源氏物語」を読んで登場人物について語りあったり、モーツァルトの新作オペラの舞台を楽しみに待っていたりしていたのかもしれませんね。
ちなみにその先生は、森鴎外の「舞姫」の主人公を嫌いだとおっしゃってました。
曰く、「結局恋人を幸せにできずに捨てて帰ったのに、未練たらしい上にグズグズ言い訳している」のだとか…
おかげで私は、主人公に肩入れできない小説も、読めるようになりました。
それまではずっと、主人公の気持ちになって読んでいたのです。でも、あまりに自分と掛け離れた考え方をする人物だと、精神的にしんどかったんですね。
でも、一歩離れて見てみれば、「こういう考え方をする人物がどんな人生を送るのか」と興味をもって読めるわけです。
音楽も、現在ではクラシック音楽として高尚なもののように語られていても、当時の人々には「あんなに長いと聴くのに疲れるじゃないか」とか言われていたりしました。
どうも、日本人には、欧米の文化は優れたものという固定観念があるように思います。
日本女子スケーターが選んできた和風プロも、蝶々夫人とかSAYURIみたいに「欧米人が考える日本女性」をテーマにしたものが多かったのでは?
それほど日本人は、「日本のものは世界には通用しないのではないか」とか、「理解してもらえないかもしれない」と思うことがあるのでしょう。
実際、あの「塗り替えられることのない世界記録330.43」のフリープログラムSEIMEIも、ノーミスでなければどんな評価を受けていたか。
決して、「日本人が日本の音楽を使って滑る」ということ自体が賞賛されていたわけではなかったように思います。
それを変えたのは、平昌オリンピックではないでしょうか。
あの状況で世界を制したSEIMEIだからこそ。
「日本の選手が日本の音楽でオリンピックを連覇した」ということの価値が高まったのではないでしょうか。
FaO Iでとしくんとコラボしたマスカレイドとクリスタルメモリーズは、どちらも素晴らしいプロだと思います。
競技プロとしては、時間制限もジャンプの本数も考えないといけないでしょうけど、EXならどちらも見てみたいと思います。
何より、世界中の羽生くんのファンの皆様に、見ていただきたいのです。
日本語の歌詞だということで、国際試合のEXには向かないと思う方もいらっしゃるようですが。
花になれとか花は咲くとか、ありましたし。
それに、外国のファンの方たちも羽生くんのことをもっと知りたいと思って、日本語を勉強していたりもします。
羽生くんが日本文化を世界に広めたり、羽生くんのファン同士で国際交流していけるなら、それはとても嬉しいことなのではありませんか?
日本の歌謡曲も、素敵な歌がたくさんあります。
日本のマンガもアニメも、今では高く評価されるようになりましたしね。
羽生くんなら、あらゆるジャンルの音楽を表現できるでしょうから。
歌謡曲でも演歌でも童謡でも民謡でも、雀踊りでも…は、ちょっと難しいかも?
読んでくださった方がいらっしゃるなら。
ありがとうこざいました。