スポーツは筋書きのないドラマだそうですが。
たまに、これは神様が書いたシナリオかもしれないという場面に、出くわすことがあります。
アテネオリンピックでの、体操男子のフィニッシュは「伸身の新月面が描く放物線は栄光の架け橋だ」という実況の言葉と共に鮮やかに決まりました。
同じく体操男子の、リオオリンピック個人総合のフィニッシュは、連覇を目指す内村選手が着地をぴたりと決めました。
東京オリンピックでは、どんなドラマが待っているのか楽しみですね。
ただ、心配なこともあります。
ここにきて、体操男子の日本の二枚看板、内村選手と白井選手が怪我をしています。
女子の村上選手も。
水泳の池江選手も、最先端の医療で回復してくださると良いのですが。
スポーツは怪我との闘いでもありますが、自国の代表選手の怪我を知ることはつらいものですね。
しかし、現状の日本のスポーツ界は何か浮き足立っていて、アスリートファーストになってないように感じるのですが。
東京オリンピックを翌年に控えたこの時期に、トップアスリートが怪我や病気で、オリンピックに出場できるかどうかわからないという…
もちろん、細心の注意を払っても怪我をすることはあります。病気に罹ることは、どうしようもありません。
それでも、考えてしまうのです。
「各競技団体がしっかりと、アスリートファーストを徹底していたら、もう少し何とかなったのではないだろうか?」と。
それというのも、フィギュアスケートでなんというか…お膳立てをしていたような印象を受けることが多いんですよね。
先日CSで放送されたGPFを見て気づいたのですが、日本開催が2005年、2009年、2013年、2017年なんです。
オリンピックシーズンの、GPFが日本開催…これはどなたの意志でそうなったのでしょう。
何か、「GPFを制して世界のトップとしてオリンピックに出場する」ためのお膳立てのように思ったのですが。
いえ、悪いことじゃないんですよ。
自国の選手をそのような形でオリンピックに送り出したいというのは、戦略としてもいいのではないかと。
ただ、それが、「自国の選手のうちの、特定の誰か」にとってだけ有利になるように組まれた試合だとすると、話は別ですよね。
2017年のGPFがどこで開催されたか、スケートファンの方たちはよく覚えていることだと思いますが。
そして、お膳立てされた試合でどのような結果を出したのかも。
「自分がこの試合で勝つことを目論んでいる人たちがしたお膳立て」と知りながら、実力通りに本番でやり遂げられるメンタルの持ち主は限られているのです。
そのシーズン、地元名古屋開催のGPFで宇野選手は優勝できませんでした。
さらにオリンピックでは、自国のTV放送時間に合わせた試合のスケジュールとわかっているネイサン選手も、SPで大幅に出遅れました。
お膳立てされたからといって、それで勝ち切れるとはいえないということが、よくわかるできごとでした。
オリンピックで連覇したのは羽生選手です。
その勝利はまさしく、神様が書いたシナリオではないかと思わせるものでした。
見た人がより感動するのは、そういった、神様が書いたとしか思えない筋書きでのドラマなのではありませんか?
お膳立てされて勝っても、「あー、やっぱり」と思う部分がどこかにあって、感動が割り引かれてしまうのです。
だから、その競技のスター選手にしたいのなら、お膳立てのない試合で自力で勝てる選手になってもらわないといけないのです。
日本のスポーツ界は現在、お膳立てをすることにばかり熱心になっているのではないか?
それは本当に、選手のためになるのか、その競技の発展に寄与するのか、もう少し考えるべきときがきているのかもしれませんね。
読んでくださった方がいらっしゃるなら。
ありがとうこざいました。