一流は一流を知る。
このところ、多方面の芸術家やアスリートが、羽生くんへのトリビュートやリスペクトを表しています。
そういうことを知るたびに思うのが、「一流は一流を知る」ということなんですね。
私のような芸術音痴が言うのもなんですが、私は「当代の評論家」というものを信用してません。
歴史に名を残すような一流の芸術家のうち、どのくらいの方が当時からふさわしい評価を受けていたのでしょうか。
また、その芸術家の時代には別の流派があったり、主導権争いがあったりしてもおかしくありません。
だから、どちらかの流派に肩入れしている評論家が、違う流派を酷評することもあったでしょう。
しかし、何百年も伝え残されたものは、その間にずっと「この芸術作品を後世に残したい」と思う人々によって、守られてきたわけです。
もちろん、災害や盗難、戦争などで失われたものも数多くあったことでしょうけれど。
そして、何百年も経ってからの評論は、評論家自身の利害が絡むことが少ないのです。
昔と違って、その場に行かなくても、写真で、CDで、DVDで、ネットで、素晴らしい芸術作品に(本物ではなくても)出逢える時代になりました。
知ってから、ぜひ本物を見たい、聴きたいと足を運ぶこともあるでしょう。
そして……………
優れた芸術に触れて、思うわけです。
よく、この時代まで残っていてくれたと。
さらに。
どの部門の芸術でも、尊敬する先人たちの中で「当時からふさわしい評価を受けていたら、もっと多くの作品を残していたはず」と現代の芸術家が思う相手はいるのではないでしょうか。
だからこそ、現代の「自身以外の芸術家」が、同じような目にあわないようにと、「芸術家である自身が高く評価している他の芸術家」のことを発信するのではありませんか?
一流でなければ、他人の芸術のことまで守りたいとは思わないでしょう。
一流でなければ、他人の功績を妬んで低く評価したくなるでしょう。
一流でなければ、自身が携わっている部門以外の芸術の、どこがどう優れているのか理解できないでしょう。
一流は一流を知るのです。
一流の芸術家は、自身以外の作り上げた優れた芸術作品も、後世に残したいと思ってくださるのです。
加えて、一流の芸術家は、違う部門の芸術作品に触れると、自身の創作意欲を刺激されるのかもしれませんね。
そういうことを知ると、とても嬉しくなります。
羽生くんはまだ現役の選手なので難しいでしょうけど、多方面の方々とお会いできる機会があれば、さらに多くのものを吸収することでしょう。そこからどんなものを作りあげることができるようになるか、考えるとワクワクします。
でも、とりあえず今のところは…
内村航平選手と白井健三選手と対談して欲しいというのが、私と夫との共通の願いです。
あらー、芸術の話なんて、身の丈に合わないことをしていたら、いつの間にかスポーツのほうになっちゃいました。
読んでくださった方がいらっしゃるなら。
ありがとうこざいました。