人は多面的なもので、自分から見えているものだけではないと思っています。
同時に、組織も決して一枚岩ではないでしょう。

しかし、組織の中にいると視野が狭まって、組織内部の常識や派閥に考え方が囚われてしまう人が多いのも、事実なのではありませんか?

それでも、人には正しい方向へと向かう意思が残っていると信じたいのです。

組織自体が腐っていてそれに慣れた人でも、改革の新風を巻き起こしてくれる人が現れると、そちらに惹きつけられることはあると思うんです。
ただ、それに惹きつけられることと、これまでのやり方を変えてまでそちらに与することとの間には、飛び越えないといけないものがたくさんあります。

常識も、人脈も、これまでしがみついてきたものを捨てて、改革者と運命を共にできるか?その覚悟が問われるのです。

これまで通りにするほうが、楽なのです。
今までのやり方では先がないと思っても、でもまだいいかと思いがちです。
何とかなるかもしれないと、惰性的な方向に行く。そして、取り返しがつかない状態になってから慌てる。そんなことは、よくあることでしょう。

でも、人間は誰しも「他者から賞賛される自分でありたい」と思っているのではありませんか?

だから、完全に、「この人は悪いことをしている側にいる」と思われたくはないのです。

犯罪者でも、テロリストでも、もし「正義の側に立つ機会を得て、他者から賞賛され感謝される」ことがあれば、真人間に立ち返ることはあると思うのです。

「あなた(たち)が今していることは、大勢の人から嫌われて、後世まで悪名が残って、家族まで肩身の狭い思いをすることです」と言われてもなお、続けていくことに躊躇のない人間なんて、そんなにいないのではありませんか?

そこまで組織にしがみつくより、改革者に協力してより良い方向に進んでいくほうが、達成感もあるでしょうし賞賛もされるでしょう。

組織内部では、必ず派閥があります。
今は組織の主流派として幅をきかせていても、反主流派が勢力を得たら立場は逆転します。

そんなときに、これまで「間違ったこと、悪いこと、人を傷つけること、法律に違反すること」などをしていると、どうなるかわかりますよね。

組織の主流派であるから、それまで見逃してもらえたのです。その立場でなくなったら、糾弾されます。そして、人を傷つけるような人間は、立場を悪くしてまで味方しようとは思ってもらえません。

組織内部の常識に囚われている人は、視野を広げて少し考えてみて欲しいのです。

その組織の外からどう見えるのか。
十年後、二十年後、今の状況はどう評価されるのか。

十年後の自分に恥じない生き方をしているのかどうか。
十年後、振り返ったときに今の自分を賞賛できるかどうか。誇りに思えるかどうか。

私はただのおばちゃんで、世間に対して誇れるものは何一つありません。
しかし、恥ずべきことも何一つしてません。
子の親として、我が子に顔向けできないようなことはしない、してこなかったということだけは言えます。

狭い常識に囚われて道を誤る人が少しでも減って、より良い世の中になってくれることを望んでいます。

読んでくださった方がいらっしゃるなら。

ありがとうこざいました。