「人に何かしてもらったこと」と「人に何かしてあげたこと」とどちらが多いと思うでしょうか?
どの本で読んだのか覚えてないのですが、主人公が家族からこのようなことを言われるのです。
「人にしてもらった以上のことをお返ししようと思う人間になって欲しい。そんなことをしたら損をするように思うかもしれないけど、そのくらいでちょうどいいのだから。人は、自分がしてあげたことは過大評価して、人にしてもらったことは過小評価するものだから」
不平不満の多い人って、自分がしてあげたことを過大評価しているように思いませんか?
「自分はこれだけしてきたのに報われてない」
そう思う人が、不平不満を抱くような気がします。
私は祖父母のいる家庭で育ちました。
戦争中は大変だったという話を聞くこともよくありました。
その頃は、また昔の苦労話かと思ってました。
でも、祖父母の没後に、もっと聞きたいことがあったのにと思うことがしばしばありました。
視野を広げてみると、自分がどれだけ恵まれた環境で生活しているのかに気づきます。
戦争中でなくても、昔の人たちの苦労はどれほどのものだったか考えると、もし自分がその時代に生まれていたら、この年齢まで生きているということが難しいことにも気づきます。
漫画の「仁」や、時代小説の「しゃばけ」シリーズを読むと、江戸時代にはお医者様にかかることができる人はごく限られていたということがわかります。
そして、診てもらったところで、血液検査もレントゲン撮影もないので、原因が判明するとは限りません。
有効な治療法があるとも言えません。
医療事情だけを考えても、現代の日本だからこそ自分は今まで生きてこれたのだなぁと思います。
まして、水道や電気の普及など、先人たちの恩恵を受けているものの何と多いことか!
私は毎日料理しますが、食材も調味料も料理器具も全て誰かが作ってくれたものです。製造と流通、それでやっと私の手元に来たのです。
これほどの恩をどうやって返したらいいのでしょうか?
返しようがないくらいの恩恵を受けていると思うと、自分がしてきたことがちっぽけで取るに足らないものだとわかります。
でも、恩返しは、少しずつでもできるのではないかと思うようになりました。
これほどの時代にしてくださった方々にも子孫はいらっしゃることでしょう。
だから、今よりもっと良い時代になるように、後世に残していくべきものを考えていけたらと思っています。
より改善された法律やシステムで、十年後、二十年後に、「あの時代の人たちが頑張ってくれて良かった」と言ってもらえるようになったら。
受けた恩恵の一万分の一くらいは返せたことになるかもしれません。
と、思って、たまーに「素人なのに政治家さんたちに提言」したくなったりするのです。
より良い未来のために。
読んでくださった方がいらっしゃるなら。
ありがとうこざいました。