ただの想像です。

ISUにとっての理想のスケーターは「ソチオリンピック後の羽生結弦」だったのかなと思います。

オリンピックで金メダルを取って、世界選手権でも優勝して、次のシーズンにGPSから出場する。(衝突というアクシデントがあったにもかかわらず)GPFで優勝して「金メダリストが試合に出場し続けることでスケート界が盛り上がる」ことを実感したことでしょう。

もともとフィギュアスケートは選手生命が短いということもありますが、若い選手のほうが評価が高いのは、そういう面もある程度含まれているのかなと思ってました。

つまり、「次の4年間を盛り上げ引っ張ってくれる選手に金メダリストになって欲しい」という願望があるような気がしたのです。

同じくらいの実力を発揮したときに、期待込みで若い選手に高めの得点が出るというのは、何となく感じませんか?

バンクーバーでプルシェンコさんが、ソチでキムヨナさんが連覇できなかったのも、そういう部分が少しはあったのかもしれないと。

もし、トリノのあとプルシェンコさんが、バンクーバーのあとキムヨナさんが、ソチ後の羽生くんみたいに試合に出場し続けていたら、評価は変わっていたのでしょうか。

このところ、ジャンプの回転不足判定などにばらつきがあり、GOEとPCSの評価も⁇⁇な試合があり、現役の選手やコーチとかからまでAI導入を希望される事態になってます。

それはもう、ジャッジの採点がなんらかの意図を感じさせるものだからという理由があるのでは?

どの競技でも、ミスジャッジで紛糾することはあります。そして改善のために「より良い判定にするための工夫」がされてきました。
ビデオ判定導入やチャレンジシステムなどです。

そんな中、スロー再生も導入せずに、ジャッジの裁量の範囲を広げたフィギュアスケートが、その採点システムで「公平に、公正に」できるか注目されていたのではないですか?

そして、公平ではないと思う人が多いから、AI導入して欲しいという話が出てくるのだと思います。

ジャッジが懸命に、より公平であるように採点していたら、AI導入がそこまで必要とは思われなかったのでは?

その恣意的な部分が、「これから引っ張ってくれる選手を高く評価したい」であれ、逆に「これまでの功労者を高く評価したい」であれ、意図はわかりますが採点がそれに影響されては競技の正当性を欠いてしまいます。

ソチ後の羽生くんみたいに、話題も人気も実力も上昇し続けることなんて、滅多にありません。
若い選手が高く評価されても、それを超えなければというプレッシャーに負けて潰れてしまうかもしれません。

ソチ後のソトニコワ選手や、現在のザギトワ選手など、金メダリストであることに押し潰されてしまうのではないかと、ファンでなくても心配になるほどでした。

……………まあ、ただの妄想です。
本当に、「次の4年間を盛り上げ引っ張ってくれる選手が金メダルを取るといいなー」と思っていたとしても、そうそううまくいきませんよね。

しかし実際に、恣意的な採点を感じさせる試合があったことも事実です。

この選手をチャンピオンシップに出場させたいかどうかで、ナショナルでさえ(全員にではなく)一部の選手に高く、他の選手に低く採点されていたように思います。

それがただの、素人の思い込みに過ぎないのであれば、採点の正当性を説明する場「ジャッジへの質問ができる記者会見」などがあっても良いのでは?説明されれば納得できるかもしれないのですから。

羽生くんのような不世出の天才が現役でいるうちに、全てを「公平で、こうあるべきもの」という採点システムにしないと、羽生くん引退後は「そして誰も見なくなった」という事態になるかもしれません。

競技のより良い発展のために必要不可欠なものは、公平なジャッジが必ずされるという安心感なのではないでしょうか。

読んでくださった方がいらっしゃるなら。

ありがとうこざいました。