平昌オリンピックで、羽生くんが金メダルを獲得した記念日です!
実は私、TV観戦さえリアルタイムでできるかわからない状況でした。
SPの前日に、義母が体調を崩して…ひょっとしたら入院しないといけないかもというくらい具合が悪く、点滴して帰宅したものの、あまり目を離せない状態だったんです。
SPの日には、ぐったりとベッドに横たわる義母の近くに座って、TVを見てました。
羽生くんのスケートが始まって、フライングキャメルスピンあたりでもう、涙が出てよく見えないくらいになって…
気がついたら、義母もTVを見てました。
羽生くんのスケートが終わると、またうとうととして、目を覚ましている状態を続けるのはしんどかったみたいでした。
フリーの日は、少しずつ良くなってきていたので、申し訳ないけど(途中で具合悪くなられると気が散るから)羽生くんの番だけは一人でTVを見てました。
白状すると、それまでのインタビューなどで、羽生くんが「何も不安はない」と言っていたので、もう足は大丈夫なのだと思ってました。
それが、ビールマンスピンを抜いたことで…心配になりました。
腰を痛めたとか、ないよね?
スタミナ温存の為、だよね?
4Tと3Lzの着氷が乱れて、それでも持ち堪えてくれて、コレオシークエンスのところで…羽生くん、笑ってる?
ギクリとしました。
終了したときの満足そうな笑顔に、やはりそうなのかと。
世界記録330点を出したときにさえ、「ステップレベル4取れなかった」と悔しがってました。
あの着氷で、それでも転倒せずに滑りきったことに、そんなに満足感を得られるほどに足の状態は悪かったのか…と。
よく、最後まで頑張って持ち堪えてくれました。
良かった。素晴らしい演技でした。
見せてもらって幸せでした。
採点結果まで見て、急いで義母の部屋に行くと…
義母は起き上がってました。
羽生くんの番だけは、起き上がって見ていたのです。
一緒に見られなくてごめんなさい。
ここから、羽生くんが表彰台に上がるまでは同じ部屋にいるから。
……………
羽生くんの金メダル決定の瞬間には、私は泣いてました。
だから、義母がどういう表情で見ていたのかわかりません。
ただ、まるでSEIMEI様に生命を吹き込まれたのかと思うくらい、それから義母の体調は良くなっていきました。
羽生くんが取った金メダルは冬季五輪の1000個目の金メダルだと知りました。
まるで、勝利の女神様からの祝福のようですね。
危うい、本当に、よくやってのけることができたというくらいの怪我だったことも知りました。
まさに、薄氷の上を踏むような、「このやり方でしか取れない」と晴明様が氷上に道を示してくださったかのような、勝利でした。
いえ。「薄氷の上の勝利だと?人間たちの比喩の言葉でも、氷の上なら我が加護の内。悪しきものの企みがあっても退けてみせよう」と、スケートの神様が見守ってくださったのかもしれませんね。
羽生くんを守ってくださった全ての神様と多くの人たちに感謝をこめて。
羽生くんのファンの皆さまと祝福すべき記念の日に。
読んでくださった方がいらっしゃるなら。
ありがとうこざいました。