人が誰かを羨ましいと思う、その気持ちはどこからくるのでしょうか。

自分より優れている、良い家庭に恵まれている、裕福だ、容姿が良い、体型が良い、異性にモテる、有名だ、周囲から尊敬されている…

そういう相手を羨ましいと思うのはわかりますが、不特定多数の「自分より優れている人」ではなくて、誰か一人にその感情が向けられたときに、それは嫉妬になるのではないでしょうか。

もちろん、羨ましいという気持ちが憧れや尊敬になり、目標にして頑張るというポジティブな方向に行く人もいるでしょう。

けれども、大抵の場合、羨ましいと思う相手には「自分がとって代わりたい」「あの人が手に入れているものを自分も手に入れたい」「どうしてあの人が持っていて、自分は持ってないのだろう」とネガティブな方向に行く人のほうが多いような気がします。

それは、その相手が持っているものの、良いところだけを欲しがっているからなのではないでしょうか。

それを持つためにしてきた苦労や努力、もしくは持っているために別のマイナスの側面があるということに、思い至ってないのです。

自分がもっと美人だったら良かった。
ということは、女性なら誰しも思うのではありませんか?
でも、それで本当に美人になったら(美容整形でどこまで可能かは別にして)引き寄せてしまうかもしれないマイナスの側面は考えているでしょうか。

○嫌いな男に言い寄られて困る
○痴漢に遭うことが増える
○ストーカーに狙われる
○モデルにスカウトされたと思ったら、AVだった
○恋人ができても、顔だけ好かれてるのか、中身はどう思われてるかわからない
etc.

ちょっと思いつくだけでも、これだけのマイナス面が考えられます。

まして、生身の人間なら。
とって代わりたいほどに誰かを羨んでいるとしたら。

その相手がしてきた努力、怪我や病気、そして精神的な苦痛までも全て引き受けてでも、とって代わりたいか?と、問いたいですね。

もし、「そんなことはごめんだ。いいところだけ欲しい」というなら、ただの欲しがり屋さんです。

そして、「それでもいいからとって代わりたい」というなら、他人の苦労を低く見積もる傲慢な人です。
さらに、これまで自分に関わってくれた人への感謝がないから、そんなことが言えるのです。
そんな人からは、人はだんだんと離れていくでしょう。

自分が持っているものに目を向けて、周囲が与えてくれたものに感謝したら…

誰かにとって代わりたいなどとは思わないでしょう。

少なくとも私は、「もう少し美人だったら良かったなー」くらいは思っても、美人のどなたかと人生とって代わりたいか?と問われたら、まっぴらごめんだと答えます。

親兄弟、夫、子どもたち。
誰も手放しません。
周囲の人たち、親切にしてくれた人、仲良くしてきた人、全て「私」に向けられたものです。

今ある自分にしてくれた人への感謝を込めて。
私は私で良かった。
誰にも代わりません!

…美人からは程遠いけど。

読んでくださった方がいらっしゃるなら。

ありがとうこざいました。