以前から時々感じてはいましたが、私は、同じくらいの要介護の家族を持つ主たる介護者として、苦労が少ないのではないでしょうか。

もし、(現時点での)要介護3レベルの家族内介護者が100人いたら、苦労の多さを比べたら私は一番少ないのではないかとさえ思えます。

そして多分、その理由の一つは私が「高齢者と一緒に暮らすこと」がどんなものか知っているからなのでしょう。

核家族の時代です。
高齢者を、介護するどころか、近くで寄り添って生活したことがない人も多いと思います。
そういう人にとって、「高齢者はどうなっていくか」はこれから体験することなのです。

もちろん個人差はありますが、加齢と共に人は衰えていきます。
いくら嫌だと言っても、言葉で否定しても、衰えていくのです。

記憶が、身体能力が、言語が衰えていく…
なのに、本人がそれを認めない状況で、家族もそれを認めたくない気もちで介護するのは、かなりしんどいことだろうなと思います。

義母は自分が姑の介護をしてきました。
世話をする側の人間だったのです。

義母(私にとっては姑ですが、そういうふうに思ってないので義母と呼びます)は、「自分が姑にされた嫌なことを嫁には絶対にしない」という確固たるポリシーの持ち主です。

強く、優しい人です。

多分、自分が介護してるときにした嫌な思いを、私にはさせたくないと思いながら介護されているのでしょう。

デイケア、デイサービスに行くのに積極的です。
リハビリも、他の利用者さんとの交流にも積極的です。
体調不良で休むときはありますが、行きたくないだの必要ないだのと言ったことはありません。

理想的な要介護者だと思います。

私は苦労が少ない…それは、「私が高齢者と暮らしたことがあるから、人は衰えていくものだとわかっている」という以上に、介護されてる義母が私を守ってくれているように感じます。

今、介護してる方にも、将来自分が介護される側になったとき、どういう態度でいれば介護しやすいのか考えてみて欲しいと思います。
それを考えたことがある人と、自分の衰えを認めたくない人とでは、介護する側の負担はかなり違うでしょう。

それでも、できれば、義母にはこうして欲しいと思うことがあります。
私が介護してるときに「すまない、申し訳ない」という気持ちではなくて「ありがとう」と思って欲しいのです。

私が介護される側になったら、(もし、認知症になったとしてもできるだけ)「ありがとう」と言う人間でありたいと願っています。

読んでくださった方がいらっしゃるなら。

ありがとうございました。