次男がコロナになってから、3週間が経ちます。


ものすごーく長かったですチーン


6人家族の1人がコロナになったドタバタを、備忘録として、書き記しておこうと思います。


まずは、3週間前の2月19日土曜日朝。

珍しく次男が話しかけて来て、なんだか喉が痛いんだよね〜、と言うので、鎮痛剤をあげました。


前日から次男は、オンライン授業で家にいました。


ちなみにコロナになるまで次男は、機嫌悪くて、もう何週間も家族と会話をしていませんでした。学校から帰ってきたら自室に直行、夕飯の時だけ出て来て5分くらいで食べたら、あとはずっと自室にこもっていてショボーン


珍しく調子が悪いと話しかけてきて、嫌な予感がしたまま迎えた土曜日の夜、やはり、頭と喉が痛い、ちょっと微熱があり、家族中に戦慄が走りますガーン


まず1番に守るべきは、翌週に受験を控えた長女あせる


毎日夜遅くまで塾に行って、一年間頑張ってきました。


私と旦那は、とにかく何がなんでも長女を守る、長女を予定通り受験させる、と、心を一つに動き出しましたビックリマーク


他の受験生に迷惑をかけない為、この時点で長女を迎えに行き、受験が終わるまで塾には行かせられませんでした汗

これは長女にとっては不安で、受験直前にひとりぼっちにされ、いつ自分も発熱するかわからないし、何をしていいか分からず、全く勉強が手につかなくなってしまったようですショボーン


翌日20日日曜日、旦那が次男を発熱外来に連れて行き、PCRが不足しているので抗原検査と血液検査、そごで残念ながらコロナ確定してしまいましたガーン


もともと次男が会話もせずに引きこもってた事と、長女は塾で忙しくて家に居なかった事で、二人の接触は全く無かったので、長女は大丈夫と判断して、すぐに一人で泊まりに行かせました。

私はもう、長女が心配で心配で、全く眠れませんでしたチーン


長男は、追試やら部活やらで忙しくて友達の家に泊まったりが多かったので、そのままネットカフェに泊らせました。

次の日家に帰ってからは、自室に居ました。

とりあえず5日間は部活も遊びも行かず、ひたすら寝てました。


最後に、88歳の義母ですが、コロナがうつったら1番大変な年齢ですゲッソリ


私と旦那はいつ発症してもおかしくないので、出来れば義母と接触はしたくないあせる


色々考えた末、旦那が自分のお兄さんに頼み、ビジネスホテルに連れて行ってもらい、とりあえず長女の受験が終わるまで5泊、狭い部屋に缶詰となりました滝汗


朝昼晩と、義兄が食事を届けてくれて、体温を測ってくれ、義母は帰りたい、帰りたいと言いながらも、何とか耐えてくれました。


絶対無理だろう、1日で泣いて帰ってくるだろうと思ってた私は、意外な義母の頑張りに驚くと同時に、義母の丈夫さにほんと感心し、神様に感謝しましたおねがい


そんなこんなであちこちに避難させて、旦那はリモートで仕事しながら次男の世話を


私は仕事を休んで、次男の高校とのやりとり、長女の担任の先生との連絡、受験の準備、家中の換気、そして除菌をしまくりましたチーン


22.23日は、娘も家に帰ってきていて、義母以外は家にいましたが、ひたすら接触に気をつけながら、面談の練習の相手やら、体調管理やらに全力を注ぎました笑い泣き


もう頭の中は、誰も熱を出しませんように、ただひたすらそれだけでした。


毎日毎日朝早く目が覚め、暗いうちから換気、除菌、そして、毎日お仏壇に手を合わせ、毎日近所の神社にもお参りにいきました神社


誰が今ウィルスを持っているかも分からず、誰から誰にうつるかも分からず、全員それぞれが接触出来ず、全員別の場所、別の部屋で、それぞれ過ごす1週間チーン


もう、1日1日が長くて辛くて。眠れなくて、食欲もなくて。

テレビをつけても全く内容が頭に入らず汗


朝起きて、あぁ、今日もまだみんな元気だ、ってホッとして。


コロナの事なんて、ペラペラと相談も出来ず。


唯一、姉に泣きながらラインして、不安な気持ちを全部聞いてもらって、本当に助かりましたお願い


食事は毎回、お弁当を買ってきては、各部屋に配り。


一人で食べる食事が、こんなにも喉を通らないというのは、初めての経験でした。


保健所からの連絡は一切無し。


全て家族で話し合って、家族で決めた自主隔離。


何が正しいのか、どうすればいいのか、私一人では動けなかったと思います。


今回はとても、テキパキ働いてくれた旦那に感謝ですおねがい


本当に恐ろしく長い一週間を過ごしました。