中3で不登校になった次男。

11月に通信制高校の説明会に行き、12月にバタバタと準備して受験、合格。


次男の受験は、準備から合格まで、1ヶ月で終わりました。


中学校へは、2学期の終わりに、夕方荷物と通知表をとりに行き、あとは卒業式まで行きませんでした。


高校決まったら学校行くかも?

という淡い期待もまあ、早々に無理だと諦め、あとは卒業までゆっくり穏やかにすごしました。


今までとは嘘のように、部屋に引きこもって何日も出てこないということは無くなりました。


会話もするし、夜一人で走ったり、縄跳びしたり、体力を戻すための運動もするようになりました。


高校から課題も出してくれて、1か月に1回、プレ登校日もあったので、高校へ行ったら頑張ろうという気持ちはきちんと保てていたようです。


とても平和な日々おねがい


途中、担任の先生から、

「写真撮影するから、ちょっとだけ来れないかなあ?」

などの連絡が来るたびに、1日くらいは全く喋らなくなる、ということはありました。
中学校へ行くことだけは、頑なに拒まれました。


そして最後の難関

卒業式ドンッ爆弾

先生からも、手紙が来たり、私もすごいプレッシャーでした。

卒業式の話をするのも、爆弾に引火するような覚悟。怖すぎたショック

どうせ行かないだろう、と、みんな思ってました。まあ最悪、放課後個人的に行くしか無い、と、先生とも話してました。


ところが、コロナで突然の休校。
卒業式の練習も無くなり、式も簡略化。


恐る恐る、手紙を書いて、
「最後だし、みんなも練習してないから、一緒だし、コロナのせいで、すぐ終わるらしいよー。良かったね。」


と、卒業式ぐらいは出るよねー、というやんわりとしたプレッシャーを与えてみました。


ほんと、決死の覚悟で。



そして当日の朝。


起きてきました!!

しぶしぶ支度をし、何度もため息をつき、
迎えに来てくれたお友達を見て、またため息。

泣きそうになりながら出発。


ヤッター音譜音譜音譜



急いで私も支度して行きました。


簡素化しているため、あっさりとした式で、泣いてる保護者などいない中、一人号泣笑い泣き

ママ友達からも、来られて偉いねー、良かったねー、と言われてまたポロリぐすん


長くて辛い、1年でした。


次男はといえば、仲間と大はしゃぎ、ちゃっかり写真の真ん中で写り、式もちゃんとこなして、あー、良かった。友達とも会えて、た感激したのも束の間、家に帰ると


これで、中学の友達とも終わりだから、LINEも消すねー。


だって。


あんなに楽しそうに騒いでたのにアセアセ


ほんとショック!?





でも、有終の美で、卒業式出られたということを、幸せだと感じよう。

私も、ちゃんと先生にお礼言えたし、他のお友達のママにも挨拶出来たし、良かったです。