父の実家は
戦後から続くラーメン屋だ。
会ったことの無い
死んだばーちゃんが
切り盛りして
末っ子である僕の父や
兄弟5人を
ラーメン屋をして
育てあげた
だからたぶん
ラーメンが無かったら、
僕は、生まれていない。
だから、たまにこうやって
食べて御礼を言うんだ。
いただきます
ごちそうさま。
僕の叔母さんが
今朝、死んだ。
94歳、大正生まれ
声を思い出す
何度もあった
電話越しに聴く
優しい声で
としゆき元気かい。
お母さんに代わっておくれ。
のフレーズ。
小学校低学年のとき
父と母が喧嘩した
日曜日の夕方、
サザエさんを見ていたら
離婚だと言って
母は、姉を連れて家を出て行った。
父は、真っ先に
叔母に電話するように
僕に言った。
平和な夕方の
突然の出来事で
泣きじゃくる僕に
叔母は
ゆっくりと
少し低い声で
はっきりと言った。
よく聴くんだよ
としゆき
お前がお母さんを
迎えに行くんだ。
今すぐ
追いかけるんだ。
電話を切った。
夢中で追いかけて
なりふり構わず
連れ戻した。
ラーメンが無かったら
僕は
いない
叔母がいなかったら
今の僕は
きっと
いない
としゆき元気かい?
の一言は
大切にされてる気持ちを育み
僕をとても
優しさや喜びに包んでくれる
としゆき
お前が追いかけるんだ。
の一言は
信頼されてる気持ちを育み
僕をとても
勇気づけ
背中を力強く後押ししてくれる。
たまにしか会わず
何かをしたわけじゃなくても
生きているだけで
そんな優しさや想いを
かけて貰っている。
そして
それだけの価値が
自分にはあるから
そんな想いをかけて
貰えるんだ
そんな叔母との
心の繋がりは
これからもずっと続く
人は
人生の流れの中で
何かを与えあっている
その時
気づいてなくても
確実に何かを与えあっている
今日が
僕にとっては
それに気づく日だ
そんなのって
みんなにもあるだろう?
当たり前が
当たり前じゃなかったって
当たり前が
特別だったって
特別が
当たり前に
日常にちりばめられてたんだって
それに気づく日
あるよ
って想いを
誰かと共有しようと
綴ってみた
もっと深く
何かを表現したいけど
これ以上は、無理みたいだ
想いの輪よ
広がれ