若い時の苦労は買ってでもしろ
10代・20代の頃、自己否定のかたまりであった私にとって
この言葉は、自分への激をいれる格言だった。
病気になってから自分を振り返る機会が多く
そのたびに気づかされ思い知らされるのは
よほどワタシは自分が嫌でいやでならなかったんだなぁ~ってこと
自分を変えたい・少しでも“ましな”人間になりたい
そんなことがいつもど真ん中に陣取っていた自分を振り返り
それは、我がことながら可哀そうに思えるくらいである。
そんなワタシだったから
ひとつでもましな人間になるために
苦労は買ってでもしろ!!・・・・・と
真剣に思っていたし、それがいいことだと信じていた。
が
50代を目前にしたワタシが気づいたことは
苦労は買わなくったってやってくる・・・ということだった。
30代・40代・・・・振り返ると
ちゃぁ~~んと“自分にみあった苦労”・・・というものが
実に見事に上手い具合に与えられてたことに笑ってしまう。
時にドッカァ~~~ン!!とおっきいのや
時に連発でバババッツってやってきたり
“苦労”と呼ばれるそれがやってきたときは
ありえへんし!!・・・・なんで?・・・無理!!
神様を恨んだり・泣いたこともあったけど
時間が過ぎて過去のこととして振り返れる今となれば
「そんなこと・あんなこともあったなぁ・・・・・・」となる。
その程度の過去のひとつの出来事となる。
青春時代というものを斜に構えていたワタシが
我が娘達に教えてもらったことがある。
楽しかった・言ってよかった・やってよかった・・の想い出は
苦労で培った力よりも確実に自分を助けてくれるアイテムになる。
まだまだ成長過程の未熟者のワタシだけど
自分のことを好きになれたワタシがみつけたワタシの格言だ。
我が子達に、若い友人たちにおせっかいおばさんは話したいと思う。
苦労を買わずとも、楽しい時をのがさずにゲットして生きていってほしい
3年日記を読み返しながらこんなことを思ったちこママでありました。