一年に一度の憂鬱 | いつかのいい日のために 

いつかのいい日のために 

2008年10月、卵巣癌という気づきのチャンスを与えられてから3年
今、たくさんのキャンサーギフト(癌からの贈り物)を貰っていたことに感謝しています。
これからは【まんまるっこ天使】に手伝ってもらいながら返謝の気持ちを伝えていこうと思います 2012.3

毎年毎年繰り返す憂鬱な日


今年は無いことを


心のどこかで祈りながらも


心のどこかで諦めていた


だけど・・・・・


繰り返された憂鬱


これが現実


わかっていても懲りずに


母の日に贈りものをし


電話をする


それが


いつもこんな風に


裏切られ


また今年も積み重ねられただけのこと


わかっているのなら


やらなきゃいい


やっても一緒だとわかっているのなら


母の日のプレゼントも電話も手紙も


やめてしまえばいい


そう


わかっているけど


やっぱり母の日だもの


そう思ってしまう


甘いな・・・・ワタシ


母の日用のまんまるっこアレンジ


おかげさまで11個作らせてもらった


その最後に作った自分の母へのアレンジ


昨日届いたたはずなのに


届いたの連絡なし


電話してもタイミング悪く繋がらず


さっき繋がった電話はいつもの母さん


「食べられない」「動けない」・・


いつもの愚痴が続く


「元気なのは声だけよ・・・・」


アレンジの事を何も言わない母に


「荷物届いた? 風船の人形はどうだった?」とワタシ


聞かなきゃいよかった・・・・(-_-;)


「母さんには、何を送っても猫に小判よ」


そう言って笑った母


落胆と怒りの思いが込みあげるのを抑えてながらも


「嘘でもいいねぇ~! って言えないの」


ワタシなりの想いを口にするが


それこそ伝わるはずもない


あぁ・・・・・33年前手作りのカーネーションを贈った日が


またフラッシュバックで蘇る


すぐにでも受話器を置きたい気持ちを抑えながら


15年ほど前に贈ったアジサイの話をする母の相手をしながら


ワタシの胸の動悸は早くなる


電話を切った後の脱力感と憂鬱


いい思い出も


育ててもらった・産んでもらった感謝の気持ちも


ワタシの本当の気持ち


だけど・・・・・・


歳を重ねるごとに積まれていくこの憂鬱


割り切ろうとしてもどんどん厚くなる哀しみ


毎年やってくる母の日は


ワタシの心の狭さ・未熟さをつきつけられる日


そんな気さへしてきた


6時起きで爽快に始まったはずの快晴の日曜日


勢いで胸のもやもやをここに吐き出して


また来年の母のまで頑張ろう←どんなんや(^_^;)


これが現実


素直な想いがすべてに伝わることはない


大切な人だからわかってくれる


自分の母親なんだからわかってくれる


子供の苦しい時


どんな親だって手を差し伸べてくれる


出来なくてもその想いはどんな親でもあるもの


でも・・・・それらが絶対でないのも現実


人を変えることはできない


自分が変わるしか


自分が変わっていくしかない


人生に無駄なし


母に感謝しつつも母のようにはなりなくないと強く願う


これからもワタシは


母を反面教師として生きていくだろう


反面教師としての存在が


ワタシにとっての母の役割なのかもしれない




・・・・・追記・・・・・・


毎年・毎年世間で温かいエピソードが綴られる日に


こんなつぶやきをしてしまい


読んでくださった常連の皆様・・・・ごめんなさいm(__)m