今日は、5月23日。
私の兄の誕生日です。
子どもの頃、私たちの机は隣同士。
勉強しなきゃいけない時でも、いつも喋ってばかりで、
母に「喋らない!」とよく怒られるほど仲良しでした。
そんな兄は、頭が良くて優しくて、頼りがいがあって、
小さい頃から、ずっと私の自慢でした
兄は大学進学で関東へ行き、なかなか話す時間が持てなくなりました。
それでも、私にとっては「なんでもできるすごい人」。
そんな兄が白血病になったと聞いたときは、本当に衝撃でした。
私は3人の子育て真っ最中で、お見舞いにも簡単には行けず、
「子ども面会禁止」と言われる中、
何度も病院に足を運びました。
やっと体調が少し整って、
「ようやくゆっくり話せるね」
「穏やかに過ごせるようになったね」
そんな時間が戻ってきた…と思った矢先に、兄は旅立ちました。
もっと連絡しておけばよかった。
もっと「大好きだよ」って伝えておけばよかった。
そんな気持ちは、今でも胸の奥にあります。
自分には大きすぎる存在の人でした。
唯一の救いとして、病気という時間が
“突然”ではなく“対話の時間”をくれました。
本人は本当に闘病が大変だったと思います。
会うたびに変わっていってました。
後から聞いた話では、ドナーが見つかっていたそうです。
でも兄はもう治療を望まなかったと。
父はそれを悔しがっていました。父も本当によく支えてくれました。
「なんとか可能性があるなら、生きていてほしかった」
それが、私の本音です。
でも、その時兄は「もう充分だ」と思ったのかもしれません。
本当によく頑張った人生でした。
私が見舞いに行くと、兄はいつもニコニコして迎えてくれました。
美味しいものをたくさん買ってきてと、いつもお小遣いをくれました。
「よくなったら、何か食べに行こうね」
美味しいものが大好きな兄と、外出許可をもらって外出する――
それが、私たちのささやかな夢でした。
身体はボロボロだったのに、最後まで優しいままでした
「ありがとう」
「寂しいな」
兄がいなくなった今でも、困った時には
そっと背中を押してくれるような気がしています。
そして、今日。
なぜか予定を入れていなかったのに、不思議と誘われて出かけた先。
それが、兄が最期を過ごした聖路加国際病院のすぐそばでした。
しかも、今日は兄の誕生日。
病院の中庭にある**“聖ルカの像”**を見たとき、
なんだか泣けました。
兄に会えたような気がしました。
不思議なご縁や、見聞きする言葉の中に
まるで兄がいろんなかたちで、
「ここにいるよ」「見守っているよ」って
言ってくれてるような気持ちになることがあります
私は兄のように強くはないけれど、
兄が生きられなかった分、
優しさと感謝を持って、
誰かの助けになれるように生きていきたい。
兄に、そして今日という日に、心から感謝しています。
読んでくださって、ありがとうございます。