前回のブログは、診察の待ち時間を利用して
アップしました。
診察の前の予定では、母は今頃
カルセドの第8クールの抗がん剤治療を
するはずでしたが、
結果、
それは取りやめになりました。
体重減少が激しいこと
体力がこの数日の間に一気に落ちたこと
そして、カルセドを投与しても
治療の効果よりも身体へのダメージが
大きいことが予想される、と。
実際に7回までやってきた抗がん剤治療。
カルセド投与をはじめた辺りの
腫瘍マーカーの数値をグラフ化したもの
それを見ても

途中までは下がって効果を表していたのが…
すでにここ数回の治療では投与して
ほんの少し下がって、でも
また次の時には前回の数値を越えてしまう。
つまり、腫瘍マーカーの数値も右肩上がり。
主治医も次の段階、緩和に入ってはと
お話しがありました。
わたしも
「ああ、やっぱりか」という思いと
「いよいよか」との思いで聞いていました。
ここ最近の母の体調を考えると
治療の為に入院をしたのに、そのまま
一気に体力も低下してしまい、
そこから退院もままならずに
そのまま緩和ケアの病棟に入ってしまう…
そうなるんじゃないか、
という不安がありました。
弟も同じくで。
母も、主治医のお話しを最初は
キョトンと聞いていましたが、
腫瘍マーカーの数値のこととかは
理解できなくとも、
「ここまで本当によく頑張りました」と
言ってくださった医師のひと言に
全てを察して。
しばらく黙って

「ああ、そうですか、そうですね…涙」
泣きながら
「わかりました、わかりました」
そう頷きました。
側にいた父も、前回の診察で医師から近々
もう抗がん剤は体力的にできなくなる、と
予告されていたので
ああその時なんだ、と顔をクシャクシャにし
母と一緒に泣きつつ肩を抱いていました。
母が「ここまで家族も本当によく助けて
くれました、一年と保たないと
思ったのがそれ以上よく生きれた」
診察室の全員が母の言葉に静かに
頷いて受け止めました。
先生も、ずっとわたし達の会話に
耳を傾けてくださり、そして
本当に頑張りましたと母を讃えてくれ、
家族の助けがあってここまで充分
頑張られた、わたしや父にも
労いの言葉をかけてくださいました。

今後は自宅で往診の医師を手配したい、と
実際的な話しとなり、
そのアレンジや準備としてがんセンターの
治療相談でソーシャルワーカーさんの
面談予約を1週間も空けず取りまして
(弟とわたしの仕事の休みが合う日だった)
帰宅したのですが…

それが2月3日のこと。
そこからたったの5日で
母はみるみる弱ってしまい、
あの時は杖で歩いたり少ないけれど
飲食できていたのが、今はもう
ほぼ寝たきりに近くなっています。
余りにも急です





嘔吐してしまう。
食欲はほぼゼロ。
上腹部と腰と背中の間の痛み。
しゃっくりがひっきりなし。
足腰に力が入らない。
素人なりに、想像すると
転移した小細胞がんが加速度的に
肝臓そして膵臓で増殖してるのかな
と。

どうしても時々嘔吐してしまうので、
衣服の着替えを手伝うと
痩せてシワシワに萎んだお腹、
でも肋骨の下辺りだけふっくらとしている
そこだけ皺がない。
医師の転移の話しから想像するに
この辺が肝臓膵臓で腫れてるんだろうか

なんとか水分と高カロリーのドリンクを
吸い口とか使いほんの少しずつ飲ませ、
痛み止めと炎症を抑える飲み薬を飲ませて
それで今は自宅に居ます。
1週間も経たずに
この数日で、一日毎に ガクッ
ガクッ
と


状態が落ちていく…

この状態でいい訳ないと焦る

いやしかしこれにて緩和へ、と主治医と
話したからいったいどうしよう
と


焦る思いで がんセンターの外来窓口に
📞相談をしました。
ナースさんが対応し状態を聞いてくださり、
自宅でのケアの事
痛み止めの薬の事
訪問看護を増やす事など
アドバイス頂きました。
また、

これほど一気に状態が落ちてしまった事を
3日前に会って別れとお礼を告げたばかりの
主治医にも報告が行き、
緩和ケア病棟へ入る準備リストに
入ることをアドバイスされました、
ベットの空き待ち
という事です。

医師と最後の診察室では、これからは
抗がん剤の入院もなくなり少しは
落ち着いてゆっくりできるかと
そう思っていたけれど、
希望していた往診医への手配を頼む、
それすらも間に合いそうにないくらい
あっという間に悪化してしまうのか…

緩和へ入院したらコロナの対応で面会はもう
ほぼ難しくなる。
そして万が一の時は、実家のある県央から
がんセンターまで走って母の命の時間に
間に合わないかも…。
そう予想され、





ナースさんも同じくで
そこも考えてリストに入るか聞いてくれました。
でも痛み止めが効かなくなり
もっと母が辛くなるのも拭えないので
リストに入れて頂くことにしました。
そうして週が空けて今日、
まだ空きましたと連絡は来てません。
きのう暖かい午前中に、弟と弟のお嫁さん
義妹が母の身体をタオルで拭いてくれました。
体力の落ちていく母に合わせて色々と
家の中を改修したり工夫をしていました。
風呂場の滑り止めや介護用のシャワー椅子、
手摺りの取り付けなどが行われたけれど
それらを殆ど使えないくらい
母はもうこのまま逝ってしうのかな…。
抗がん剤の入院がなくなったからねと、
帰りの車では、個室の温泉がある宿を
箱根とか近くで良いから行きたいなぁ〜。

孫娘の高校入試テストももうすぐ終わるから
その頃に箱根でも行こうよ、なんて
声をかけて緩和へ移るショックを和らげる
ように、前向きに捉えだした母でしたが

ちょっと悲しく暗い気持ちに押し流されて
しまいそうですが、
わたしより一番にダメージなのは父なので。
娘のわたしと弟は、せめて出来る限りの
事をしようと、両親をサポートしています。
ケアマネさんに相談や訪問看護の回数増など
やれる事をやるしかない!!
隣県で一人暮らしをしている
大学生のわたしの息子、母達には初孫。
昨夜連絡をしました。
コロナの事もあるけれど、
母の残りの時間を考えて
今夜🚙息子を迎えに行って、
母に会ってもらおうと思います。
その時が来たら息子は残念だけど
間に合わないかもしれないだろうし、
今はまだ痛み止めも強くないので
起きていれば意識もあります。
でもだんだん眠っている事が
増えるだろうから、話せる今のうち、
母もわかる今のうち。
母に孫の来ることを伝えたら
「あゝ…うれしい、うれしい」と。
楽しみにしています。
こうして母が寝ている時間が増えた事で
ブログする時間がまた増えてきました。
では、
気持ちを切り替えて、頑張りますね。
母の、温泉と桜が見たい、が叶うといいな。