『子ども達には内緒で』
そう言って母は父にのみ伝え
精密検査を受けていました。
7月の健康診断でレントゲンに怪しい影発見
8月は確定診断する為にいくつも検査を受け
途中お盆休みを挟み、
悪性とのはっきりした告知は9月の事でした。
あとから聞いた精密検査の内容は
血液検査
CT撮影
血液検査
MRI
骨シンチ検査
喀痰検査
腫瘍マーカーの数値と喀痰検査の内容から
ガンの種類は小細胞肺がんと確定。
位置は縦隔部と言って心臓に近い真ん中部分
CTやMRI画像で見ると太い動脈と静脈の両方
に絡みつくような感じ。
そして右の上葉が潰れてしまっていました。
ガンが空気を送る管を押しつぶしてた。
大きさはイビツではっきり言えないけど
5cm以上 8cmくらいはあるかも。
大事な臓器や血管に絡みついており
切除は不可能かつ突然死のリスクも大
太い血管に絡んでいて急な大量出血が
いつ起きてもおかしくない、と。
そして完治はしない、と。
父は何度も子ども達に相談しよう、
とりあえずでも報告した方が良いと
母にかけあっていたけどダメで。
父の方が思い悩み悶々としネットで
調べたり(えてして良い情報が少ない)
また母を失う恐怖と不安で夜は眠れずに
どんどん痩せてしまいました。
この夏実家に帰った時母がゴホンゴホンと
乾咳をたまにしていました。
長年のスモーカー🚬なのと風邪引くと
まず咳に来やすいタイプ。
思えばあの咳はもうガンからだった。
「風邪気味なの?」と聞いたんです。
でもシレっと「うんちょっとネ」と返事し
またいつもの喉にくるやつよ〜と
名女優かっ!
そしてこの頃印象的だったのはむしろ父
いつも孫娘を連れて実家に帰ると
「お〜〜よく来たな♪」とほころぶ顔が
同じセリフなのに覇気がなく
いつもの椅子に座る後ろ姿が小さく見え
『アレ??お父さん元気ない?』と思い
わたし「ねぇお父さんなんか疲れてない?」
母「この猛暑に畑もほどほどにせいって
言ってたのが軽く熱中症みたいで〜」
母より父の方が病人扱いでした
しかしいよいよ精密検査の結果ドクターから
悪性の告知を受けすぐにも入院しなさいと。
『もう黙ってる訳にはいかんなぁ』と
わたしと弟に告げてきたのでした。
9月のある日
父から珍しく電話がかかってきました

「あのなぁ、母さん肺がんなんだよ」
母は自分だとうまく説明できないからと
「お父さんお願い」と父に頼み、
悪性告知のショック癒えぬ父から
まず二世帯同居の弟、そしてわたしに
ここ数ヶ月の経緯と結果が告げられました。
電話を変わった母は
「そんなわけで!まだ死ぬつもりないし
父さん置いて逝けないから頑張ります!
色々迷惑かけて申し訳ないけど
」
すこし動揺してるけど気丈に闘病宣言。
ガン患者の母の方が父より元気な声。
むしろ父が
「黙っててすまんなぁ
俺ももうこれ以上ひとりで
抱えきれんよ」と
力のない声で
でもどこかホッとしたようにポツリ。
なんだか母より父を励ます電話になりました。