予感の予感?終活という断捨離 | 青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

母の闘病記。当初限局型でありながら完治しないと言われ2ndオピニオン等諦めてしまった母。しかし標準治療を取らなかった最初の病院に疑問を持ち県立がんセンターに転院、完治目指すも間に合わず多発転移、放射線治療抗がん剤を終えて在宅で緩和ケアがはじまりました。


母は昨年 義理の兄と姉を
ガンで見送っています。

血の繋がりはないとは言え
長い年月 義兄姉として過ごし
連れあいの実姉実兄を力づける為にも
折にふれ見舞っていました。

そして見送ったのが昨年の春と秋。

それがきっかけだったのか
突然 母そして父にも「終活」という
パワーワードが意識され!!

気づけば猛烈に家中の
断捨離をはじめだしていました。
父は庭木周りを主に伐採したり
引っこ抜いたり。
そして母は団塊ど真ん中で物持ち
あるわあるわ〜。

ある日📞電話が
なんだかハツラツと断捨離中の報告で
かかってきました。

母 「あんたの高校時代のコートまであるわよ!」
私 「マジか (どんだけ物持ち?!)」
母 「要る要らないの判断しに来て!!」
私 「了解〜… てか、むしろ高い所の荷物
        下ろすの危ないからやめてよね、
        わたしが行った時やるからさ」
母 「そんなのわかってる」
私  「(イヤわかってないだろーなぁ)」

ここで母の性格にまつわるエピソードを
言いたいのですが
長くなるのでそれはまた次にします。

とにかく「終活!」と、どこか明るく
合言葉の様に語るの父と母。
普段はケンカばかりにしてるので
同じベクトル向いてなんだか生き生きしてて
わたし「あら、なんだか前向きじゃん」
母「凛は親の終活を前向きなんて冷たいねぇ」
と、自分達の楽しげな様子を棚に置き
チクリと言うのでした。
いや、だって楽しそうだったよ!
正直わたしも楽しかったし。
荷物が語る数十年の父母と家族の歴史
思い出を振り返る様でした。
そんな感じで数日実家通いをし
大量のゴミ出しそしてスッキリ。


そうして終活という断捨離がひと段落し
季節がめぐり、思うにこの頃くらいから
母のガンがひっそり成長していたのでは
と思ったわけです。