青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

母の闘病記。当初限局型でありながら完治しないと言われ2ndオピニオン等諦めてしまった母。しかし標準治療を取らなかった最初の病院に疑問を持ち県立がんセンターに転院、完治目指すも間に合わず多発転移、放射線治療抗がん剤を終えて在宅で緩和ケアがはじまりました。

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こんばんは🌃


日付けは変わりましたが、

今日 3月10日 

午後の柔らかな日差しが

部屋に降り注ぐ中

母が旅立ちました。




ゆっくり息を吸って吐いて…

そし最後は眠るように。




父と弟と義妹とわたし、

そして中学が午前で終わり帰宅していた

甥っ子次男

この5人に見守られて。




最後の最後まで 

母らしい

ひと頑張りを見せて、

大好きな孫達、家族に囲まれて

幸せなカタチでの旅立ちとなりました。




明日はわたしの娘の中学卒業式🌸

そして明後日は高校の入学説明会

と、

そのどちらにも被らずにね

お母さんは今日にしたんだよね。




式典の最中、説明会の最中、

わたしや孫娘が心配しないように。


でもあんまり早くに旅立つと

その後の葬儀日程が卒業式とかと

被っちゃうから…。

だから

ほんの手前の、このタイミングで

そう決めてくれたんでしょうね。






お陰で今夜は自宅に帰ってわたしも

明日の卒業式の準備が出来るよ。

ありがとう、お母さん。

本当にありがとう。



わたしの長男、大学生も

一人暮らし先に戻らずに

神奈川に居られる絶妙のタイミングが

今日だったね。



大学生の長男は、母にとって初孫。


その

「頑張れ!!」 の掛け声が


一番効いたね〜。




「ばあちゃん!孫ら皆んな向かってるよ!


 だからもう少しだけ頑張って!!!」


長男が、LINEのビデオ通話越しに

母に呼びかけすると、

これで最後の呼吸か……

囲んだ皆んなが、そう思ったら、

母はもうひと頑張り、と



『!!〜〜〜〜〜〜〜』


とっても大きく、

精一杯の最後の呼吸を

ゆっくりと、長く、


そして静かになり次に吸い込むことは

ありませんでした。




最後の瞬間まで、

孫たち皆んなを想ったのだと

そうだと思います。



往診の先生や、訪問看護のナースさん

そして昨日お借りしたパンフレット

 [家で看取ると云うこと]

にも書いてあった通り、


【耳は最後まで聞こえている…】



本当にその通りだと思います。





学校からそれぞれ孫達がかけつけ、

母に沢山声をかけて看取りました。


人生の旅立を家族の声に包まれて

母の最高の瞬間だったと思います。





ありがとうございます